げるろ |
あるのにないないのにある、を噛んだとき、ゲルのような歯ごたえだった。突き刺した歯を抜くとき、微かな抵抗を感じた。
(2007.6.27 編集長おぬま)
フィクション |
娘「ママ」
母「なに?」
娘「ゾーオってなに?」
母「とても恐ろしい生き物よ」
娘「人間を食べるの?」
母「食べるんじゃなくて、飲み込むの、ひと思いにね」
娘「人間って飲めるの?」
母「口の形が人間に合わせて出来ているのよ」
娘「……見たい!」
母「ゾーオを見たいの?」
娘「ううん」
母「じゃあ、なに?」
娘「ゾーオが人間を飲み込むところ」
(2005.9.25 編集長おぬま)
普通の別れ |
スイマセン。ほとんどの人には関係のない話です。
今村昌平が死にました。私は彼が作った学校に入って出たというだけで、特に深い関係があったわけではないのですが、たった一度だけ話をしたことがあります。私が制作進行(要するに一番下っ端)をしていたころ、今村プロダクションで仕事をしたことがありました。といっても今村監督作品ではなくてNHKのBSドラマだったのですが、若い監督が雨ばかり降らせるので私はヘトヘトボロボロになっていたのを覚えています。事務所には今村昌平もときどきやって来て、奥の暗い部屋に一人籠もって川島雄三の映画を観たりしていました。ある日、私はスタッフルームで一人で作業していたのですが、偶然今村昌平と二人きりの状態になったことがあるのです。私は当然緊張しましたが、彼も緊張しているのがよくわかりました。そういう人なんです。イマヘイって。今村昌平は突然私に話しかけてきました。「君はどこの出身だ」「茨城です」「なにもないところだな、あそこは」「はい……」会話はそれだけで終わりました。もともと話のヘタな方だったし、私も特に気の利いた質問をするセンスも持ち合わせていなかったので、喋ることもできなくて、なんだか気まずい雰囲気になって今村昌平は奥の部屋へ行ってしまいました。人間を描けとかいいながら、自分はうなぎとか昆虫とか人間以外のものばっかり主題にして、本当は人間には興味ねーんじゃねーかと私は疑っていたのですが、そんなことを本人に話す勇気もありませんでした。
7月9日に日本映画学校が卒業生向けにお別れの会をやるそうです。みんな行こうよ。それで終わったら酒を飲もう。どうせみんな(私も含めて)お金がないだろうから、安い居酒屋で、別に今村昌平の話をしなくてもいいんだし、卒業生の中には映画学校出身であることを隠す人もいるみたいだけど、ひょっとして恥ずかしかったり、出世の妨げになるのかもしれないけど、どうでもいいや。飲も。ね。
(2006.7.5小沼雄一)
脇橋 |
いやな夢を見た。
十歳ほどの少年が首を鎖につながれて憔悴しきっている。そばには監視する大人が立っていて、逃げられないことがわかっているのに逃げようとする少年をときおり羽交い締めにする。私は、その少年がまもなく死刑に処せられることを知っている。知っていながら「どうしたの?」と少年に聞く私がいる。少年は「大丈夫です」と小さく平静に前を見たまま答えた。森の葉が一斉に裏返るような気がした。瞬間、私は、死を前にした子供がどのように受け答えをするのか知りたかったのだと、自分を理解した。
(2005.4.4編集長おぬま)
脇橋 |
今日はある仕事がダメになったので昼過ぎに帰宅しなければならなくなりました。いつもの川沿いの道を歩いたのですが、時間は要らないほどあったのでゆっくり歩きました。日差しが隅々まで行き渡って気持ちの良い空気でした。あまり早く帰ってマンションの管理人に不審者と間違われたら嫌なので時間を潰したいと思い、脇橋で道草を食うことにしました。川底をなにも考えずに眺めると、水の塊がわずかな傾斜を察知しながら順繰りに通過していきます。私は止まっているので動いているのは水の方ですが、いつのまにか私が動いて水が止まっているようにも見えます。そのうち何が動いているのかわからなくなってきたので、私は鞄から“それ”を取り出しました。二つほど“それ”を川に放り投げると、鴨が驚いて顔を上げました。私は鴨が“それ”を食べてしまわないかと冷や冷やしましたが、また水の動きに心を奪われてなにも考えることができなくなりました。
(2005.2.24編集長おぬま)
脇橋 |
私がこの川の道を通うとき、必ず目を奪われる風景があります。それは、「脇橋」の上を通ってそのまま伸びる狭い歩道のどん詰まりにある、廃屋となった小屋。その小屋の中心部はまるでトンネルのようにくり抜かれており、開け放たれた空間の向こう側に見える風景はまるで異世界のように感じられます。私は自宅から駅に到着するまでまったく橋を渡る必要がないので、この脇橋を渡って川の対岸に行ったことはまだ一度もないのですが、橋向こうの風景は大のお気に入りで、光の角度のよい時間に眺められるととてもラッキーな気分になります。それは今の時期だとだいたい午後二時半ぐらいでしょうか。四十度ぐらいの角度で太陽の光が建物の空洞になった空間の向こう側に、まるで額に縁取られたように陰影を深く刻む時間帯があるのです。私はそれを「ちょうどよい斜めの光」と呼んでいます。暑すぎる深い角度ではなく、寒すぎる浅い角度でもない、ちょうどよい角度の光を私の日常の中で観ることができる。それが私の密かな楽しみなのです。
(2005.2.17編集長おぬま)
脇橋 |
毎日川沿いの道を歩くと、些細だけれどもちょっとうれしい発見があります。住宅地の真ん中にキャベツ畑を見つけたり、古い木造の物置小屋に子供の落書きがしてあったり……。昨日は道脇の神社に立ち寄ってお参りをしました。小さな境内は隅々まで掃き尽くされ、冬の引き締まった空気とよく調和がとれています。川に架かる橋は意外と少なくて、東京といっても川の両側の生活圏は分断されているのだなあと感じました。まして昔の人にとっては、数少ない橋は今よりもっと重要な意味を持っていたことでしょう。けっして大きくないのに「大橋」という名前が付けられていたり、その先に「脇橋」という小さな橋があるのを発見したりすると、江戸時代の川沿いの地域はまさに橋を中心にして歴史が形成されていたにちがいない……などと想像が膨らみます。
(2005.2.9編集長おぬま)
脇橋 |
新しい住まいは駅からちょっと離れているのですが、むしろその距離を楽しんでいます。学生の時以来、駅から五分以内のところばかりに住んでいたので、徒歩12分というのはずいぶん遠いなあ、でも安いからなあと悩みながら引っ越してきました。ところが、自分が意外と歩くことが嫌いではないことを発見して驚いています。わざわざ遠回りをして川沿いの遊歩道を歩くようにしているぐらいです。遊歩道には(春が楽しみな)桜の木が並び、住宅街の真ん中を流れる川も思ったよりきれいで清々しい水の破音が聞こえてきます。川に浮かぶ鴨を眺めながらの通勤兼散歩は、私にとって肉体的にも精神的にも心地よい時間となりました。
(2005.2.1編集長おぬま)
ことのはじまり |
なかなか映画監督の仕事が来ないので、ならば家で監督をしようと思いつき、「よーい、ハイ」と言ったら、あざらしが怪訝な顔でこちらを見た。
(2005.1.28編集長おぬま)
引っ越し |
去年の秋に引っ越したんですが、緑豊かな東京某区の住環境に非常に満足しています。冗談抜きで酸素濃度が高いような気がします。呼吸が楽です。それから静かです。夜は実家の茨城より静かなくらいです。そのかわりなにもありません。本当になにもないんです。おかげで外食する回数が極端に減りました。わずかに点在するレストランやラーメン屋は競争原理がまったく働いていないため、恐ろしいほど不味くて値段が高いのです。最近は専ら寄り道せずに帰宅します。
(2005.1.24編集長おぬま)
オシム語録 |
「私は小さい頃、みんなと同じようにバナナが好きだったんですが、小さい頃はそのバナナが手に入りませんでした。今はそんなにバナナが好きではないんですけど、好きなほどバナナが手に入るんです」 by オシム
(2004.9.24編集長おぬま)
阿房列車 |
あざらしに阿房列車を知っているかと声をかけたら知っていると応えたので、じゃあその中の話で、三人が宿に泊まったところ三十円の宿泊代だったので一人十円ずつ出して帳場に持って行ったところ、五円まけてくれて女中が部屋に持ってこようとしたのだが、途中二円をちょろまかして三円だけ返金したため、三人に一円ずつ戻ったので一人九円ずつ支払ったことになり、そうなると九円×三人で二十七円、それに女中がちょろまかした二円を足して二十九円ということになってしまい、一円どうしても足りない……というのは知っているかと聞いたら、あざらしは「知らない」とだけ言って行ってしまいました。
(2002.8.25 編集長:おぬま)
アキレスと亀 |
あざらしにアキレスと亀の話を知っているかと声をかけたら知らないと応えたので、古代ギリシャで一番足の速いアキレスという男が絶対に亀に追いつけないというパラドックスの一つで、例えばアキレスの1メートル先に亀が位置して同時にスタートした場合、アキレスがその1メートル先の場所に到達したとき亀はほんの少し前進していて、さらにその先んじた亀の位置にアキレスが到達したときやはり亀はわずかに進んでいる……ということを永遠に繰り返すと一生アキレスは亀に追いつけないことになるんだ、と説明したら、あざらしは突然怒り出して「そんな亀は足を大股に踏み出して抜いてしまえ」と言いさらに「だれだそんなバカなことを言ったヤツは」と吐き捨てて行ってしまいました。
(2002.5.10 編集長:おぬま)
タタキアゲ |
最近の新人映画監督は、異業種からの乗り換え組だったり、自主映画あがりの抜擢組だったりして、助監督をシコシコやってから苦節ウン年でようやく監督に昇進するというケース、いわゆる叩き上げ組はむしろマイナーな存在になってしまった。
邦画産業の冷え込みによる人材の流出によって、助監督という業種に才能ある若者が集まらなくなったのが一番の原因であることは間違いないが、なにより最近の若者は「カッコ悪い」ということを異常に恐れるため、現場で馬鹿にされながら下積みを積むことに耐えられなくなっている。結局助監督として残った者は、実はカッコ悪いことも受け入れることができる「落ちこぼれ組」と呼んだ方が正しいのかもしれない。実際、助監督あがりの新人監督が撮った映画は、いつだってダサいし、大半が面白くない。
そんな状況で、私はタタキアゲの新人監督としてデビューしてしまった。助監督をやりながら私が考えていたことは「今やっていることは、監督になったら何の役にも立たないだろう」ということだった。所詮、他人の映画なんだ。他人の頭の中を代弁できるはずない。だから助監督として生活している今は、ただただ無駄な時間を闇雲に過ごしているだけなんだ……と。
でもねでもね。監督やってみてね。意外と……そんなことなかったんですよ。やっぱり助監督としてやってきたことは、ムダじゃなかった。それが何かは面倒なので説明しないけど。今まで積み重ねてきたことを、素直に作品にぶつけることができたのですよ。これは絶対異業種組や抜擢組の新人監督には味わえない感動だったと思う。本当に気持ちのいい作業だった。
あとは、この映画が観る人に感動を与えんことを願うばかりである。
タタキアゲに幸あれ!
(2003.11.1 編集長:おぬま)
もう歳です |
撮影の現場は、詰まるところ体力勝負なのだ。三十代後半ともなると、そろそろ無理が利かなくなる。
今回は戦時中の話だったので、美術部が大変だった。例えば画面に窓が映るときは、そこにかならずバッテンを貼らなければならない。撮影が終わったら今度はそのバッテンを外すという、単調なだけに肉体的かつ精神的に疲労度の高い作業が待っている。一つ二つの窓なら容易いが、古い小学校の校舎に並ぶ無数の窓、窓、窓……を見ただけで目眩がしてくる。
救いは一年で最も過ごしやすい季節であったこと。新緑をなでながら山肌を吹き下ろしてくる五月の清風は、わずかながらも疲弊した肉体を癒してくれた。
特攻隊の話だったので、すべてのシーンに『死』の影がつきまとう。そんな現場に、からっと晴れた清々しい気候は、とても調和がとれているように感じた。
(2003.6.16 編集長:おぬま)
ロケ現場で撮った写真 |
校舎内で見つけた 昭和初期のスライド写真 |
窓外の風景 | 教室に差し込む光 | 理科室にあった鉱石標本 |
才能はいらない、そういう時代です。 |
映画も、音楽も、メーカーは才能を求めていない。欲しいのは“売れる”材料だけた。才能がなくてもヒットさせることができる時代が来た。驚くべきことだ。どうしてこんなことになってしまったのか。
逆に消費者は本物志向になりつつある。バブルが残した数少ない遺産だ。作り手と受け手の認識が乖離しているように感じる。
才能という土俵の上で負けるならば納得がいく。しかし、そんな神聖な土俵はもうない。
才能だけが求められるサッカー選手がうらやましい。
(2004.2.18 編集長:おぬま)
新メンバー×2 |
月刊文文(ぶんぶん)に新しいメンバーが二人加わった。(リアル)まっこい34氏についてはタールマンに紹介してもらった方がよいだろう。f401氏はすでにタールマンの「引いてダメなら……」のイラストや、O's Editor2のアイコンデザインですでにおなじみの人だ。二人は〆切を守りそうなので編集長にとってはとても心強い執筆陣である。旧執筆陣共々、今後の活躍を期待したい。
(2004.1.15 編集長:おぬま)
新年会にて |
2003年正月某所にて月刊文文(ぶんぶん)ライター陣による新年餅つき会が催された。
オズ日記終了か!? |
ロビ太嬢から久しぶりに原稿が届き、さらに矢萩氏からも近日原稿が届くことになっている。キシタケ氏はあいかわらず精力的に書き続けており、不承編集長も久しぶりに表紙を作成する気力がわいた。私の仲間も皆年齢を重ね、それぞれイッパシの社会人となりつつあり、執筆陣の原稿の遅れは、むしろ社会的な基盤を確立しつつある証拠であると自分に言い聞かせてきたが、やはりどこかに書きたい種火が燻っているのだなあとあらためて感じた。
さて、予想に反して開始からなんと一年が経過しようとするオズ日記だが、最近「年内終了」という噂をちらほら聞く。真相は定かではないが、まだ決定事項ではなく、あざらし自身も迷っているらしい。みなと相談するという言葉も漏れ聞いた。
果たして本当に終わってしまうのか。私自身は継続してほしいと願っているが、すべては執筆陣の気分次第なので、編集長にも決めることができないのだ。
いずれにせよ、まもなく年が明けることに変わりはない。読者諸氏の健康を祈って筆を置くことにする。
(2002.12.16 編集長:おぬま)
あのー |
……あ、今キックオフなんで話しかけないでください。
(2002.6.4 編集長:おぬま)
牛が歩いた |
撮影が立て込んで忙しい。……と、まずは月刊文文不定期更新の言い訳から始めてみる。
深夜から早朝にかけて。某所の公道で牛を歩かせる撮影があった。牛を驚かせないよう大声を出したり突然走り出したりしないようにとスタッフに警告を発した後、牛はトラックの荷台から厳かに姿を現した。暴れないようにという配慮からあらかじめ年老いた牛が選ばれていたためその肢体は少し貧相にも見えたが、むしろ年月を積み重ねた風格をその眼に感じさせた。
最も寒さの厳しい二月中旬。新月。美術スタッフが炊いたスモークが、ときおり風に揺れた。音の出ない現場だった。カメラのフレームギリギリの所から牛は動物プロダクションのスタッフに引かれてレンズ前を横切っていく。台本の設定上、牛は自力で歩かなければならない。牛が途中で足を止めると、撮影は中断され、もう一度スタート地点からやり直しとなる。同じ手順が何度も何度も繰り返される。日の出時刻に近くなると気温はさらに下がっていった。吐く息の白さが少し濃くなったような気がする。
数え切れないほどのトライが失敗したとき、牛はそれまでとは少し違う態度を見せた。瞬間素早く短く振り返った。近づこうとする助監督を、動物プロダクションのスタッフが制止する。「近づかないで」。牛は理解したのだ。今なら自由になれる……と。牛はゆっくりと人のいない方向へ歩き出した。静かに。厳かに。
牛の眼が、なにもない遠くを見ているようだった。
(2002.2.17 編集長:おぬま)
執筆陣が増えた! |
旧執筆陣(自分も含めて)の怠慢ぶりに業を煮やした私はついに新しい執筆陣を加えることを決意した。新しいメンバーはすべて男性。旧執筆陣同様個性溢れる顔ぶれだ。すでに三人から第1回目の原稿を受け取ったが、どれもこれもおもしろい! 乞うご期待である。
***
テレビのニュースはアメリカの同時多発テロ一色だが、その影である一人の映画監督が亡くなった。相米慎二氏である。説明するまでもなく、「翔んだカップル」「台風クラブ」「ションベンライダー」などの傑作を残した監督だ。53歳……突然の死に言葉もない。肺ガンだとわかったのは6月というから、それからわずか三ヶ月しかたっていないことになる。三ヶ月じゃ人生の清算どころか呑み屋のツケを清算することもできねーじゃねえかバカヤロウ、である。
心よりご冥福を祈る。
(2001.9.15 編集長:おぬま)
ブロードバンド |
フレッツISDLからADSLに切り換えた。NTTのフレッツADSLではなく、eAccess。はじめフレッツADSLに申し込んだのだが、対応が遅い&悪いのでeAccessに方針変更。ちなみにプロバイダはすでに利用している@niftyにした。NTTの場合1ヶ月ぐらいしてようやく手続きが始まるという状態だったのだが、eAccessにしたら十日ほどであっけなく開通してしまった。人気がないぶん開通は早い。最大1.5Mという速度は得られなかったが(平均1.0M程度)、さすがにISDNよりは圧倒的に速く、うっふんあっはん至極快適! サクサクとサイトが表示されるので、ネットサーフィンする時間そのものが短くなったのに驚いた。
ADSLを引くことができたのは、私が東京という大都会に住んでいるからだ。ADSLは電話局から遠く離れると減衰が大きくなるという特性があるため、都市部以外でADSLサービスを期待することはできない。当然、私の実家がある茨城の人口1万人程度の田舎町も例外にあらず。実家では現在、ISDNのiプランを利用している。……そうなのだ。実家周辺ではフレッツISDNすらまだ利用できない状態なのである。ああ悲しき哉、日本の(ド)田舎。
ADSLの爆発的普及(Yahoo!BBの価格設定は驚き!)で、いよいよプロードバンド時代幕開けのようだが、それも都市部だけの話だ。光ファイバーだってうちの実家には絶対来るわけないとなかばあきらめモード。経済原理最優先の昨今だが、インターネットインフラには多少の公共性を持たせたほうがよいのではないかと思う今日この頃である。
(2001.6.24 編集長:おぬま)
公開初日 |
映画公開初日の動員数ってのは、制作会社や配給会社にとってとても重要な数字で、知り合いにタダ券配ってまで無理やり水増しすることもあるらしい。よく理由はわからないが、初日の動員数がマスメディアでの取り上げられ方に影響し、結果的に二日目以降の動員数にも広く反映されるのかもしれない。
昨日(3月31日)新宿のシネマスクエア東急という映画館で「人間の屑」(町田康原作:村上淳主演)が初日を迎えた。舞台挨拶に女優の岸田京子さんなども訪れ、動員もまずまずだったと関係者がホッとしていた。関係者がホッとしているのを見て、関係者の関係者である私もホッとした。
助監督という肩書きで私の名前がローリングタイトルを汚しているわけだが、この作品にはもう一人の「おぬま」がクレジットされている。久しぶりに発行できた月刊文文(ぶんぶん)には、映画「人間の屑」のために私が書いた撮影日誌を掲載することにしよう。この撮影日誌は映画館で売っているパンフレットにも載っているものだが、できれば映画館に足を運び、ついでにパンフレットも買っていただければ、関係者の関係者として喜びに絶えない。
(2001.4.1 編集長:おぬま)
忙しい |
さらに発行日が遅れてどうなることやらですが、まずは新世紀号発行を祝したい。そういえば年賀状のCMで中嶋みゆきが「謹賀新世紀」とか「今世紀もよろしくお願いします」とかやってたっけ。
世紀末から新世紀初頭にかけて個人的に忙しくなりそう。私は仕事嫌いなので、まったくもって憂鬱だ。というわけで、なんのオチもなく前書きは終わってしまうのだ。って、こんなんでいいのか? 20世紀が暮れようとしているというのに!
(2000.12.14 編集長:おぬま)
枯山水 |
なんだか少しずつ発行日が遅れているようで情けないのですが、とにもかくにも発行できることを素直に喜ぶべきと自分に言い聞かせています。
今回のアンダーグラウンドでは久しぶりにソフト作りの話を書きました。アンダーグラウンドにも書きましたがたまたま当てにしていた仕事が延期になったので、ソフト開発の時間が手に入ったことで久しぶりに新おかるのプログラミングが進んでいます。でまあ、ソフトの話を書いたのですが、本当は九月に家族で京都に行った際に見て回った日本庭園について書こうかなあと考えていました。
今年のJR東海の「そうだ、京都へ行こう」のCMで重森三玲(しげもりみれい)という方が設計した枯山水の庭を写しているのですが、私が京都に行った際にCMの庭ではないのですけども同じ人の作った別の庭を見学したんです。で、見た感想が「うーん、これはいかがなものか」でした。他に見た日本庭園はどれも素晴らしいものだったのですが、一つだけ「いかがなものか」と思って心にひっかかっていました。あとで調べてみたらそれが重森三玲作ということがわかりました。この人は伝統的な日本庭園に現代感覚を大胆に取り込んだとして高く評価されている超有名な方(すでに故人)なのですが、私にとっては疑問符付きの彼の作品との出会いでした。これ以上は長くなるのでやめますが、いずれアンダーグラウンドで書こうと思ってます。
(2000.11.8 編集長:おぬま)
秋の再会 |
実家の近所の本屋で突然声をかけられた。振り替えると20年前の幼なじみが、20年分の人生を搭載して立っていた。右手には20年分の人生の途上で生まれた彼の遺伝子の片割れが小さく寄り添っていた。小さな遺伝子は「こんにちは…」とか細くつぶやき、ペコリとお辞儀をした。私が返事を返せずにただ唖然としていると、もう一人、今度は中学生ほどの男の子がやってきて「こんにちは」。さらに小学生の女の子まで現れてまたまた「こんにちは」。子供、三人いるのか……。私の幼なじみは少し照れたように「久しぶり」と言った。ものすごい時間の飛躍だ。中学生の頃、彼は身長も低くひ弱な体型ゆえ運動も苦手で、不良に目をつけられていじめられたことさえあった。そんな彼が子供に「ご挨拶をしなさい」と教育を施してきたのだろう。しかもそれはすでに過去のことなのだ。聞けば最近ホームページを開いたのでよかったら見てほしいという。昔書いた漫画やイラストを公開しているらしい。中学卒業以降彼との交流は途絶えたが、漫画家を目指しているという噂は聞いていた。茨城のド田舎で、彼は珍しく芸術の香りを匂わせる希有な存在だった。音楽もテクノ、特にムーンライダースが好きだったと記憶している。ある種“生意気なガキ”だったかもしれない。それが不良たちにとって目障りだったのだろうが、彼の絵の才能は疑うべくもないものだった。小学生のとき、生徒の水彩画を県の展覧会に出品することになったとき、私と彼の絵が候補となったが、最終的に彼の絵が選ばれた。私はその絵を見て、才能という言葉の意味に初めて触れたような気がする。
いじめがひどかった頃、学校からの帰り道で彼は私に言った。
「ゆうちゃんは頭がいいからいじめられない。うらやましい」
そう言われてどう答えたのか、私は覚えていない。ただ彼の才能を確信している私は、彼がいじめられているなどということは(彼にとってでもなく、私にとってでもなく、ちょっと大袈裟だが宇宙にとって)実に些細なことだと考えていたことだけは確かだ。
彼は今、実家のガラス店をついで家族を養っている。
(2000.10.7 編集長:おぬま)
オリンピック酣(たけなわ) |
オリンピックが近い。テレビ、書店などにも徐々にオリンピックの波が押し寄せてきているのがわかる。四年に一度のオリンピックイヤーはうるう年でもある。これはおかるというソフトを作っていて覚えた人生の役には立たない知識。
「ロビ太の脳味噌しぼりたて」にもオリンピック予備情報満載だが、こちらはすこぶる役に立ちそうだ。私もこれを読んでシンクロナイズドスイミングや新体操を見てみようかという気になった。先日テレビのオリンピック特集で、柔道の選手が母親の死を乗り越えて……とか、4年前の雪辱を胸に……とか、いつもの浪花節でオリンピックムードを盛り上げようとしていたが、私はそういうお涙頂載には(それはそれで感動するものの)実のところあまり興味がない。むしろ、新体操の松永理絵子が「芸術派」であるとか、レース直前集中力極限状態の高橋尚子の目が狂人そのものであったりとか、100メートル走の伊藤ナントカがハムストリングという腿裏の筋肉を大事に育てているとか、そういう「競技の虜」になっている人たちの姿が好きだ。そういう意味でも、「ロビ太の……」は魅力的な情報満載なのである。
先日ロビ太さんから今月は2〜3回エッセイを書きたいというメールが届いた。まだ書きたいことがいろいろあるので、オリンピック酣のこの時期を逃したくないということだ。もちろん、私とて望むところである。四年に一度のスポーツの祭典を最大限に楽しむために、一文字でも多くこのエッセイを読みたい。次はどの種目か……。どの選手か……。こんなにオリンピックが待ち遠しいのは久しぶりのような気がする。
(2000.9.1 編集長:おぬま)
9月号という名の第2号 |
創刊号を滞りなくお届けできたことは大変喜ばしいことであったが、2号目にして早くも発行日一日遅れという失態をさらしてしまった。悪いのはあざらしである。あざらしが〆切を守らなかったのだ。けしからん奴だ。本当は一週間前に原稿はあがっていたのだが、掲載前日にネットサーフィンというかネット遊泳をしていたあざらしが突然雄叫びをあげたのだ。「面白い!面白いよ!これだよ、こうでなくっちゃいけないのだよ!つくっちゃいけないのだよ!心の感動を素直に伝えなくちゃいかんのだよ!あう!偽者だ!あう!おらの文章は偽者だ!あう!おーん!あう!ぱしぱし」と、最後はほとんど発情期のあざらしのようで何を言っているのかわからなかったのだが(ちなみに“ぱしぱし”とはヒレを叩く音らしい)、モニター画面を見るとなにやら女子キックボクサーのホームページが表示されている。どうやら、女子プロレスの好きなあざらしがリンクの果てにこのページに偶然たどりつき、その内容というかホームページ作者とキックボクサーの文章に痛く感動したものの、いざ自分の文章を振り返ってみるとその無機質に作り込まれた文字面に嫌気がさしたらしい。そして、あざらしはすでに完成したはずの文章を何の未練もなく猛然と叩き壊し、うんうん唸りながら締切日翌日の朝までかかって徹夜で直したのが今月号の「去る者は追わず」というわけだ。
そんなわけで、悪いのはあざらしであって編集長である私は全然悪くない。気まぐれなライターを抱えると、それをまとめるほうも大変である。第2号からこの調子では先が思いやられるが、数少ない文文ファンのためにも初心を忘れずに発行し続けたい。
(2000.8.2 編集長:おぬま)
創刊にあたって |
私のまわりには面白い文章を書く人物が数名生息していて、しかもその文章を世に発表できないでいることは常々もったいないことだと感じていました。あざらしにはおかる裏日記という場を提供することで数度にわたって雑文を公に曝すことができたわけですが、他のもったいない人たちにもこのホームページで文章を書いてみないかという問いかけを試みたところ色良い返事をもらえたのでさっそく月刊誌という体裁をとって文章の吹き溜りとすべく今回の創刊とあいなりました。主題は各人勝手気儘に決められるのでいささか読みにくいところもあろうかとは思いますが、創刊したからには一月たりとも休むことなくひたすら発行しつづけようと腹を括っている次第です。
(2000.7.1 編集長:おぬま)
北海のあざらし | 生まれつき落ち着きのないあざらしは、歳を重ねてもろくな目に合わず、恥の多い人生を送ってきました。そんな私が上手に世渡りする方法を学ぶために、日々本を読んだり、気難しいおぬまさんと闘ったり、知らないおっさんに教わったりして、あれやこれや研究を重ねている様を、皆さんに紹介したいと思っています。読んでもためにならないこと間違いなしですが、うんと楽しいページです。 |
おぬま | あいもかわらぬ怠惰なソフト作りの日々。構想(妄想)ばかりが駆け巡り、一向にカタチにならない幻のソフトたちが、いつの日か日の目を浴びる日は来るのだろうか。これまで不定期にリークされていた内部情報を、晴れて定期的に漏洩することになった。また、人目を避けての工作に疲れた作者が、荒んだ生活の中に見つけた耳寄りな無駄話も呟かれよう。 |
中央線のキャンディ | 31才のフリーターな私は、今まで10種以上の仕事を経験(うち半数はヤバイ系)。その中では、なぜか、出てもいない釘なのに叩かれたり、強引に抜かれたり、散々な目に。そんな踏みつけられた雪ならではのと〜っても低い視点で、発作的に日常を綴っていきます。 扶養ネコ一匹を抱え、自らも食べなければならない、そんな生活のキホンとして、パパなどいない私はまず働かねばなりません。その手段として手っ取り早いのがバイトです。バイトには面接がつきもの。そこで第1回目は、面接についての面白&腹立ち事件や私が培った独自の必勝法などを書きたいと思います。 |
ロビ太 | 某テレビ局のスポーツドキュメンタリー番組製作に携わるロビ太が、無い知恵を絞ってお届けする、なんちゃってスポーツエッセイ。 これを読めばオリンピックが1.2倍楽しく見れる&友達に物知り顔で説明できるかも!!??? |
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