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vol.16
−「人間の屑」撮影日誌−

1999年師走

父が腎臓癌をわずらい余命六ヶ月と宣告された。自宅のベッドで父が私に話しかける。
「もう遊びは終わりにしたらがっぺ。なあ、ヨシオさんよ」
私の名前はユウイチであって、ヨシオではない。モルヒネを大量に投与されている父はすでに息子と他人の判別すらできない状態である。
「汗水流さず働がねえ奴は、人間の屑だ」
夢を見るのもいいが、世間はそんなに甘くない。そろそろ実家に戻って家業のガソリンスタンドを継げと、以前から父は私の顔を見るたびに言っていた。
私は父の足をさすりながら「わかってるよ」とだけ答える。
携帯電話が鳴ったので出てみると、チーフ助監督からだった。
「どう? お父さん」
「まあ、相変わらずです」
「現場やんない?」
「はあ……」
「『人間の屑』ってタイトルなんだけど」

2000年1月某日

妻と三ヶ月前に生まれたばかりの子供を養わなければならない私は、ありがたく仕事をちょうだいした。さっそくもらった台本を読むと“蝶々”という名の赤ん坊が登場する。設定が生後数ヶ月で性別は女。
「うちの娘どうでしょうか」
とキャスティングの近藤さんに持ちかけてみたら、
「そのために君を呼んだんだよ」
と言われた。なるほど。私のスタッフィングより娘のキャスティングのほうが早かったらしい。
その夜、うちに帰ってかみさんに娘が出演することを報告した。
「女優デビューだぞ。すごいだろ」
と私がはしゃいでるのにかみさんは浮かない顔だ。
「どうした」
「実は、今日この子の健康診断に行ったんだけど……肥満児だって言われたの」
「肥満児?」
「うん」
「そうか。肥満児かあ」
「いいのかなあ、肥満児でも」
「うーん……佐伯日菜子と村上淳の娘が肥満児じゃ、まずいよなあ」

2000年2月某日

中嶋組クランクイン。S#18、クラブで清十郎とファンと称する女二人が出会うシーンから撮影は始まった。クラブの客はすべてエキストラ。エキストラがたくさん出演する撮影では、助監督が一番忙しい。「赤いトレーナーの人ここに立って」「緑のスカートの彼女はこっちでノリノリで踊ってて」「黒い帽子の彼は清十郎がここを通る時にぶつからないように避けて、頼むよ!」現場をコマネズミのように動き回ってヘトヘトになる。そういえば、父のこともあって現場は久しぶりだった。疲労困憊で初日の撮影を終えた。

2000年2月某日

この日は新宿ロケ。清十郎が祖母の経営する温泉旅館を飛び出して、新宿をあてもなく彷徨うシーンだ。
S#31、新宿中央公園で清十郎が浮浪者にからまれる場面。このときの「けがらわしい」という台詞は、序盤で清十郎が卑しい品性下劣な猫に言い放つ台詞とダブっている。巡り巡って汚らわしきは己なり。清十郎はいつも遠まわしにネチネチとジギャクっている。自虐の先に救いなんてないだろうに……。などと考えてボーっとしてたら監督にどやされた。いけないいけない。汗水流して働かねば……。

2000年2月某日

調布でファミリーレストランのシーンを撮影。小松がホラーばりに怖くなってきた。
この日の撮影終了後、監督からラストカットを蝶々の笑い顔にしたいのでデジカムで撮っといてくれと頼まれた。
「笑い顔かあ」
三ヶ月ぐらいの赤ん坊だと、泣かせるのは簡単だが笑わせるのは非常に難しい。ガラガラを見せたりぬいぐるみを動かしたりしてやると笑顔にはなるが、それもほんの一瞬のこと。ラストカットで使うということは、どう少なく見積もっても30秒、いや、できれば1分は笑いつづけていないと撮影には使えないだろう。果たしてそんなことが可能なのか……。とはいえ、当然のことながらできませんなどとは口が裂けても言えない。助監督にとって「できない」と言うことは「私は無能なのでさっさと私をクビにしてください」と言っているのと同じことになる。
夜、家に帰ってかみさんに相談する。
「無理だよう」
わかってるけど、やらなくちゃだめなの! とにもかくにもビデオを回しながらあの手この手で娘を笑わせようと試みる。が、やはりうまくいかない。笑わせるどころか、一定時間カメラ目線にするだけでも至難の業だ。猿にも劣る生き物に芸をさせようというのが土台無理な話のだ。
「監督さんに、無理だって言ったら?」
それが言えたら苦労しないっちゅうの! やばいなあ。監督おっかないからなあ。

2000年2月某日

物語も後半、S#86、清十郎のマンション。石神井のロケセットでの撮影。
今日はいよいよわが娘の出番である。大丈夫だろうか。なにしろ生後三ヶ月だ。親から離れたり、知らない人の顔を見ただけですぐに泣き出してしまう。もし、ぐずって撮影がストップしてしまったら、娘の機嫌が直るまですべてのスタッフおよびキャストを待たせなければならない。まして私は助監督で、現場をスムーズに進行させるのが仕事なのだ。ロケセットには時間的な制約もあるし、もし娘のせいで今日の予定分を撮りきれなかったらエライことだ。朝から胃が痛い。
外の車の中でお乳をやりながら待機していたかみさんと娘がロケセットの中にやってくる。最初に撮影するのは、清十郎が家庭用ビデオカメラで部屋の中を撮影しながら歩き回り、最終的に蝶々の顔を撮りながら「蝶々ちゃん」とひとこと言うカット。ビデオカメラの映像をそのまま使うことになる。ビデオ映像とはいえ普通はカメラマンが回すものだが、今回はビデオを撮っている清十郎本人の姿が鏡に映るので村上さん自身がカメラを回さなければならない(つまりこのカットだけ撮影・村上淳)。部屋中をビデオカメラで撮り回るので、必要最小限のスタッフ以外ドアの外に出ることになった。部屋の中は監督、村上さん、私、かみさん、そして娘の五人だけ。うちの家族が多勢を占めるというなんとも不思議な現場になった。かみさんが娘をベビーベッドに置いて少し離れたところに隠れる。私も死角から娘を見守っている。娘がなんだかもぞもぞしている。親の姿が見えないから不安なのだろう。監督が赤ん坊を驚かさないように小さな声で「よーい、はい」といって撮影が始まる。迷彩服姿の村上さんがビデオカメラを構えながら、台所から洗面所へ、ほふく前進して鏡に映る自分を撮影、さらに洗面所から居間へ、居間からベビーベッドのある寝室へ。村上さんがベビーベッドを覗き込み、娘の顔の近くまでビデオカメラを突きつける。私は心の中で「泣かないでくれー」と叫んだ。村上さんがビデオカメラを構えたままセリフをしゃべる。「これは、蝶々といいます」。……しばらくして「カット」という監督の声。一同ホッと胸をなで下ろす。
ドアの外に待っていたスタッフも全員入ってきて、ビデオのチェックを行う。村上さんの撮ったビデオ画像は役者さんとは思えないほどとてもセンスの良いものだった。そして、蝶々のアップ。わが娘は泣かないどころか、ちゃんとカメラ目線になっているではないか。偉いぞ! さすがわが娘。……とそのとき、スタッフの一人がなんか写っていたような気がするという。巻き戻してもう一度見てみることにする。「ほら、ここ」。ビデオカメラが蝶々を捕らえる直前、なんとベビーベッドの向こうの暗闇の中に、間抜けな顔でわが子を心配そうに覗き込んでいる私の姿があった。「もう1回やりましょう」。監督の声に、スタッフはそそくさと撮り直しの準備にかかる。
すまん。娘よ。お父さんは助監督失格です。

2000年2月某日

ラストシーンの撮影を明日に控えた夜。例のラストカットに使用する「蝶々の笑顔」がまだ撮れていない。
10時ごろ帰宅した私はすぐにビデオカメラを回し始める。この日は新しく買ったぬいぐるみを見せたり、録画しておいた子供番組を見せたりしたが効果なし。娘は眠くなってきたらしく、泣いてばかりいる。蝶々の笑顔がなければ明日の撮影に支障をきたすので、私もだんだんイライラしてくる。親が不機嫌になると、それを感じて娘はもっと不機嫌になるので、とても笑顔など撮れるような状態ではない。12時を過ぎて、娘はとうとう寝てしまった。
「どうすんだよ。寝ちゃったよ」
「寝たらもう起きないよ」
仕方がないので、娘がぐずって夜中に起き出すのを待つことにした。明日は七時に新宿スバルに行かねばならない。それまでに撮れるのだろうか。
午前2時、娘がぐずって目を覚ます。いつもはなだめて寝かそうとするのだが、この日は逆に部屋を明るくして寝かせないようにする。ビデオのスイッチを入れて、あの手この手でなんとか笑わせようとするが、結局笑顔は撮れず、15分ほどして娘は寝てしまう。しょうがない。また二時間待つことにしよう。
夜中に赤ん坊のビデオを撮っている甲斐性のない男。これじゃまるっきり清十郎だ。

2000年2月某日

トンネルの中を清十郎が走りぬける主観映像。撮影の猪本さんがスモークの中を走りぬける。「OK!」。これですべての撮影が終了。中嶋組クランクアップである。
私の仕事も終了。ギャラも振り込まれ、家族一同感謝感謝。これで娘にひもじい思いをさせないですむ。

2000年3月某日

父の病室に私の家族ほか親戚一同が集まっている中で、看護婦が慌ただしく父の血圧を計っている。血圧計の数字はどんどん下がっていく。私は「60でとまってくれ」と祈ったが、数字はなんのためらいもなく30以下まで下降した。私の家族では父のことを「お父ちゃん」と呼んでいたので、病院中に「お父ちゃん」という声がなんどもなんども木霊した。やがてその声も静寂に呑み込まれ、病室は看護婦達によってきれいに片づけられた。撤収作業の早いこと早いこと。
一週間後、父は煙突の煙になった。一生懸命頑張って監督になれたとしても、それを喜んでくれる父はもういない。あと何十年だか知らないが、私の残りの人生は実に張り合いのないものになってしまった。
「助監督なんかやってられるかってーの」
やめる気も無いのに、とりあえず口に出して言ってみた。

2000年4月某日

0号試写。暗闇の中に濃縮された“屑”が90分間映し出された。
そして、ラストカット。
屑の娘が一生懸命笑っていた。

おぬま ゆういち (2001.4.1 東京にて)

 (※ 映画「人間の屑」ホームページ http://kuzu.acommy.com/top_form.html

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