とめるよりも とまりたい 僕は暴力肯定派 戦争反対派だけど 暴力賛成派 微笑もまた暴力と成り得るから 僕は暴力肯定派 そうさ 暴力の連鎖とかいうけど暴力と戦争を一緒にしたら暴力が可哀相 微笑みもまた暴力と成り得るから 戦争には反対だけど暴力には賛成 微笑みもまた暴力と成り得るから だって身を守る為の暴力は暴力とは呼ばないとかいうけど 身を守る為の暴力だって暴力だ 微笑もまた暴力と成り得るから暴力もまた愛 でも 戦争は・・ よく小泉のスケベ面の為に死ねるよ よく妻と子の為に日本代表とか言えるよ その愛が権力者に利用されてるだけなのに 日本兵がひいてる事を祈るよ 実際ひいてなかったら狂気だ 日本兵がくだらねえと思ってる事を祈るよ もしくだらねえと思ってなかったら不思議だ ブッシュの顔を見てプッと吹き出ずにいられるのが不思議だ フセインが大口開けてるのを見て大笑いしないのが不思議だ 何でワザワザ口の中を調べてるのが不思議だ DNAなんて髪の毛一本からでも調べられるのに あの絵が欲しかっただけだろ 定例会見して世論を味方につけようなんてコメディショー ラムズフェルドなんていつも目元と口元が笑ってる きっと耐えられなくなって奴ら自らプッと吹き出し大笑いしてとまらなくなる日も来るだろう とにかく僕は暴力肯定派 実際ビルが二本壊されピンラディンがいそうなところを空爆しまくってたところまでは僕はアメリカを応援してた でもそのあとプセインまで空爆するなんて ヤクザだってそんな酷いアヤのつけ方はしない ピンラピンがいそうなところを空爆しまくったのは暴力だから 僕は賛成してた でもそのあとは ああ 憎しみもまた愛だから 殆どのものは愛と呼べるけど 戦争と死だけは 愛とは呼べない 特に戦争だけは 愛と呼べるところが一つも無い だって 死は 想像でしか 認識出来ないから 臨死はアクマでも臨死であって 死ではないから 死そのものは 想像で 創造出来るけど 戦争からは 何も創造されない だから僕は 戦争反対 だって 暴力さえも 肯定の皇帝の愛で 賛成しようと思えば 肯定出来るのに 愛せるのに でも 戦争だけは・・ 無なんか無いの無だけが無だけど 無感覚もまた無感覚という感覚だから 生と死の感覚を無感覚にするのが戦争だから 戦争だけは 無だ・・ だから僕は 暴力賛成派だけど 戦争反対派 どうしてこんな事書いてるのかというと 戦争反対とかいうと女々しい奴と思われる気がするからだ 全く愛は 戦争に利用されてしまう程に 女々しい男の子 少なくても今は戦争をとめる事が出来てないんだから 愛は 女々しい男の子 ああ 神の糞ったれ とか神の悪口を言うのはまだいいけど 愛の悪口を言うなんて 愛の悪口を言わなきゃならないなんて女々しい 女々しい女々しいって女性蔑視か そんな事気にしてる自体女々しい ああ 愛に対する悪口は自分に向かう こんな事書いてる自分は女々しい でも女々しい女々しいって言葉が悪口でないとしたら 暴力みたいな微笑みで 戦争をイかして無にしたい 愛を 救い給え だって 正義は捨てる事が出来ても 言葉は捨てる事が出来ても 微笑みは 微笑みだ
(2004.5.23)
いそのカツオをブッ殺せ! Copyright(C) 2004 矢萩純一 題字: 矢萩純一 デザイン: おぬま ゆういち 発行: O's Page編集部 |