第3回
プロデューサーというお仕事
第76回アカデミー賞は『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』がノミネートを受けた11部門すべてで受賞し、「ベン・ハー」「タイタニック」の持つオスカー受賞最多記録と並びました。さて、映画作りに最も重要な役割を担う人物とは誰でしょう?監督?スター?それも正解です。しかしアカデミー賞で“作品賞”を手にする人物は、その映画のプロデューサーです。『ロード〜』の作品賞はバリー・M・オズボーン、ピーター・ジャクソン(もちろん監督・脚本も手がける)フラン・ウォルシュ(兼脚本)の3人が受け取りました。『ロード〜』には他にも製作総指揮としてミラマックスのトップ、ボブ&ハーベイ・ワインスタインとニューラインシネマのトップ、マイケル・レイニーとマーク・オデスキー(つまりお偉いさんたち)、共同製作としてリック・ポラス、ジェイミ・セルカーク(現場に近い人たち)がクレジットされています。そうです、実際にお金、企画、監督、スタッフ、スターを集め、映画を実現に導くのがプロデューサーなのです。私達が、ジャッキーだ、スピルバーグだ、ハリーポッターだ、と見てきた全ての映画にはプロデューサーがいて、彼(彼女)らのおかげで、私達は至福の時を味わうことが出来るわけです。
今回は、私が見てきた映画のいくつかを、プロデューサーという視点から見直してみたいと思います。実はあの映画とこの映画のプロデューサーは同じだった、なんてことも。大好きなあの映画は、一体誰のプロデュースだったのか?調べてみました。
まず、私が映画にのめりこむきっかけになった『ポセイドン・アドベンチャー』(72)、そして『タワーリング・インフェルノ』(74)の2大パニック傑作はアーウィン・アレンというプロデューサーの作品です。彼は60年代に『原子力潜水艦シービュー号』『宇宙家族ロビンソン』『タイム・トンネル』などのSFテレビシリーズを手がけ、当時はパニック映画の巨匠といわれていました。が『スウォーム』(78)など、その後もパニック映画のみを連発。次第に時代に取り残され、いつの間にか表舞台から消えてしまいました。
映画館で見た最初の映画『がんばれ!ベアーズ』(76)を手がけたのはスタンリー・R・ジャッフェ。彼はその後『クレイマー、クレイマー』(79)『危険な情事』(87)『ブラック・レイン』(89)など数々の話題作を製作しています。近作は『サハラに舞う羽根』(02)です。
スピルバーグの『JAWS』(75)は、彼の劇場デビュー作『続・激突!/カージャック』(73)を製作したリチャード・D・ザナックによるもの。往年のハリウッドの名プロデューサー、ダリル・F・ザナックの息子で『スティング』(73)や『コクーン』(85)『ドライビング・Miss・デイジー』(89)『ロード・トゥ・パーディション』(02)などをプロデュースしました。新作はティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』(04年5月公開予定)。
『Mr.BOO!』シリーズ、『霊幻道士』(85)、ジャッキー・チェンの『プロジェクトA』(84)『ポリス・ストーリー』(85)シリーズなど、私の大好きな香港映画を数多く手がけているのが、レイモンド・チョウ。新聞記者を経て50年代からショウ・ブラザースで宣伝部長・製作本部長を務め、70年にゴールデン・ハーベスト社を設立。そして最初に送り出したスターが、かのブルース・リーなのです。誰もが「デン!ドン!デン!ドン!テッテッテッテーーー」という音とともに長方形が並んでいくオープニング・ロゴを憶えているのでは。『キャノンボール』(80)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』(91)シリーズも手がけています。
レイモンド・チョウと共に、私にとって重要な作品のプロデューサーが、イスラエル出身のメナハム・ゴーラン&ヨーラン・グローバスです。『グローイング・アップ』(78)シリーズ、チャック・ノリス『地獄のヒーロー』(84)やチャールズ・ブロンソンの『デス・ウィッシュ』シリーズ、スタローンの『コブラ』(86)『オーバー・ザ・トップ』(87)など、アクション、SF、ホラー、冒険もの、エッチ、アマゾネスもの、と一言で言えばB級ということですが、『ニンジャ』シリーズではショー・コスギを見出し、アルバート・ピュンやトビ・フーパーに活躍の場を与え、いろんな意味で忘れられない映画たちを作ってきました。実は、文芸路線の作品もあり、カサベテスの『ラブ・ストリームス』(83)や『ゴダールのリア王』(87)、また黒澤明原案の『暴走機関車』(85)も彼らの作品です。
監督やスターのパートナー的プロデューサーもいます。クェンティン・タランティーノにはローレンス・ベンダー、ロン・ハワードにはブライアン・グレイザー、トム・クルーズにはポーラ・ワグナー、そしてジェームズ・キャメロンの作品を数多く手がけたゲイル・アン・ハード(キャメロンの元妻)などが代表的なところでしょうか。もちろんパートナー作品以外にもそれぞれ傑作を手がけていることは言うまでもありません。
ここで、ぴあ発行の雑誌『インビテーション』の2003年3月号(特集 変貌するハリウッド・ビジネス)に掲載された “今最も注目すべき凄腕プロデューサー10人”を紹介しますと、前述したブライアン・グレイザー、ポーラ・ワグナーと、ジョー・ロス、スコット・ルーディン、グラハム・キング、ウォルター・F・パークス、ディノ・デ・ラウレンティス、アーノン・ミルチャン、ジョエル・シルヴァー、そして当然ジェリー・ブラッカイマー、の10人となっています。彼らが手がけた映画を一度も見ていない人はいないでしょう。近年、大味の大作映画の代名詞となっているブラッカイマー作品ですが、私には『フラッシュ・ダンス』(83)や『ビバリーヒルズ・コップ』(84)、最近でも『タイタンズを忘れない』(00)などのピリリと小粒で良質な作品の方が印象的です。
私が最も尊敬する映画プロデューサーの一人がローレンス・ゴードンです。ウォルター・ヒル監督の『48時間』(82)『ストリート・オブ・ファイヤー』(84)、J・マクティアナン監督『プレデター』(87)『ダイ・ハード』(88)シリーズなどのアクション路線と(『リーサル・ウェポン』『マトリックス』シリーズのジョエル・シルバーは弟子)、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ブギーナイツ』(97)『光の旅人/K-PAX』(01)など良質の感動作で私達を魅了してきました。(中には『ウォーターワールド』(95)など大コケ作品もありますが、まあユニバーサルスタジオ名物のアトラクションになったのだから善しとしましょう)今挙げた映画は、どれもすばらしい映画体験を与えてくれた、私の心の映画です。また89年には日本ビクターの全面出資で制作配給会社「ラルゴ・エンターテイメント」を設立し、『ハート・ブルー』(91)や『不法侵入』(92)『タイムコップ』(94)などの佳作を世に送り出しました。(残念ながら興行的には振るわず、94年に代表の座を退くことに)近作は『トゥームレイダー』シリーズ。最新作は『エイリアンVSプレデター』(04)が控えています。また心を震わす傑作を見せてくれることを期待したいですね。
おまけ
プロデューサーにまつわる本をいくつか紹介します。よいプロデューサーの条件とは、企画の内容に惚れ込み、実績ではなく企画に相応しい役者やスタッフを大胆に起用し、最後まで信頼する、ということでしょうが、現実にはなかなかそういきません。時には監督やスターと衝突する、なんてことも起きています。『未来世紀ブラジル』(85)におけるテリー・ギリアムと当時のユニバーサルの社長シドニー・J・シャインバーグとの確執は『バトル・オブ・ブラジル』(ジャック・マシューズ著・ダゲレオ出版)という傑作ノンフィクション本になっています。
ロジャー・コーマンの自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』(早川書房)内容は、、、タイトルそのままです。彼の映画は「早い、安い、うまい(?)」の三拍子、映画界の吉野家といわれているのですが、彼の元からはフランシス・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ジェームズ・キャメロン、ロン・ハワード、ジョナサン・デミ、ジョー・ダンテ、ジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダと、そうそうたるメンバーが巣立っています。そして2度と彼の元で映画は撮りません。本人も言ってます。自分は通過点なのだと。しかし、『ゴッドファーザー パート2』(74)や『羊たちの沈黙』(91)にキャストとして招かれるところを見ると、やはり師匠として尊敬されているのでしょう。
ロバート・エヴァンス著『くたばれ!ハリウッド』(文春文庫)は『ある愛の詩』(70)『ゴッドファーザー』(72)など数々のヒット作を放った名プロデューサーの、波乱万丈の人生を綴った自伝であり、名作映画誕生の軌跡を描いた痛快なドキュメントです。近年ドキュメンタリー映画になり、DVDも間もなく出ます。
彼独特の口調で、スターや監督の意外な側面が語られ、作品の見方が変わること間違い無しです。特に『ゴッドファーザー』製作の舞台裏は面白すぎます。是非、読んでみてください。
TO BE CONTINUED・・・→
(2004.4.10)
極私的エーガ史。69-04 Copyright(C) 2004 カッツ伊知郎 デザイン: おぬま ゆういち 発行: O's Page編集部 |