その36 |
『Live!』 1975 bob Marley & he Wailers |
ごくたまに、何か面白いレコードを聞かせてくれと頼まれる。「ごくたまに」なのは(いくらでも言ってきてかまわないのだけど)ヘタにコイツに頼むと、趣味の偏った極端にマニアックなレコードを持ってきて(そんなまさか)これが楽しめなかったら、それはオマエの感性が鈍いからだ(言うワケがない)とでもいった居丈高な態度をとるんじゃないか、とまぁ誤解されているからだと思われる(疑心暗鬼が過ぎるか) 勿論、そんな事はないです。 この前、タールマンに何か聞かせてくれと頼まれた。 編集長宅でCD−Rに焼ける。 一丁レゲエでも、ということになった。 燃えたよ(メラメラ) 熟考と即断の間で決めたのは、 ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズの「ライヴ!」 レゲェとなれば、コレかあとやはりマーリィのベスト盤「レジェンド」(世界で最も売れたレゲエのレコード)かどちらかしかありえないっしょ。 入り易さの点から見て。 ただ、その後にレゲエにハマった場合でも「ライヴ」は聞き続けていくと思うけど、「レジェンド」はポップすぎて聞かなくなる可能性大。 この2枚はそういう違いがある。 1975年、ロンドンでの実況盤。 ボブ・マーリィが音楽活動を軌道に乗せたのは、コーラス・グループ「ザ・ウェイラーズ」の一員として。 10年程の国内での活動をへて、イギリスのアイランド・レーベルと契約を交わしたのが70年代の初め。 アイランドでのデビュー盤「キャッチ・ア・ファイア」(1973年)で聞かれる音楽は、あくまでジャマイカ国内向けに作られていたそれまでのものと違い、コクとアクを残しながらも洗練を目指した。世界を視野に入れた全く新しいインターナショナルなレゲエ。 ボブ・マーリィの音楽歴をアイランド以前・以後という風によく区切ったりするのも、その事があるから。 そこまではまだ、朋友のピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーと共にザ・ウェイラーズを名乗っていたのだけど、マーリィを中心にプロモートしようとするレーベル側の思惑や、過酷なツアーに嫌気がさして2人は脱退(のちに2人ともソロで成功をおさめる)りーダーのボブ・マーリィとバック・バンド(カールトン&アストンのバレット兄弟のリズム隊を中心とした)ザ・ウェイラーズ、という体制での新たなる船出の瞬間を真空パックしたドキュメント。そういう性格ももっているのが、このアルバム。 今まで持っていたものを捨て去ることによって新たなるものを獲得する、その刹那も今は感じる。 レゲエを広める為の役目を、ボブ・マーリィという男は与えられた。それは50年代半ば、ロックンロールの爆発の象徴としての役割を担ったエルヴィスのように。60年代のビートルズのように。 マーリィのアルバムは曲もキャッチーだし、とにかく取っ付き易い(他のレゲエのアーティストとはレコーディング体制も金のかけ方も全く違う、という側面は確かにある) その中でも「ライヴ!」の即効性は際立っている。 僕もレゲエで始めて聴いたのはコレで、一発でショックを受けてあとは一週間こればっかり、ウォークマンで授業中も聞いてた。何なんだこの音楽は。(レゲエ?)ワケが分からない。でも圧倒的に凄い。 燃えたぎる高揚感は、今オレ達は世界で最上の音楽を演ってるんだという自信と野心ギラギラのマーリィのそれでもあるし、受け止める観客の、レコードで体験している僕等のそれでもあると思う。 今夜、燃やし尽くせ、略奪するんだ、 今夜こそ、すべての腐敗を焼き払う 今夜こそ、すべての幻影を焼き払う 「Burnin’&Lootin’」 「NoWoman,No Cry」での観客の合唱を見て、アイランド社長のクリス・ブラックウェルはライヴ盤の発売を決意したという逸話も残っている。 何回聴いたか分からないけど、今でも胸ヤケするくらいに血が沸騰する時がある。今年、これをさらに煮込んだ「翌日のカレー」みたいなとんでもないライヴ盤が出た。でも先ずはコレをどうぞ。 で、タールマンにCD−Rを貸した。 あくまで貸与なので、マーリィの遺族の方々訴えないで下さい。そのうち購入させます。 「大変素晴らしかった。また頼みたい」とメールが来た。 フフフフ(メラメラ) |
キシタケ(2003.12.27)
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