O's Pageバックナンバー月刊文文掲示板次作品

いそのカツオをブッ殺せ! Sumata
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道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た─とは川端康成の『伊豆の踊子』の冒頭だが、ボクはそんな心持ちで天城峠ではなく、南アルプスの裏側に延びる国道三六二号線を北に向かってバイクを走らせていた。
ボクは寸又峡を目指していた。寸又峡といえば、「二一世紀に残したい日本の自然百選」や「新日本観光百選」に選ばれている、というより一九六八年に起きた金嬉老事件で一躍有名になった静岡県の秘境温泉地だ。

 二〇〇三年三月初頭、ボクは大学生活最後の一年を迎えようとしていた。この時期、ボクの同級生たちの大半が、にわかに突入した就職活動に身も心も粉にしていた。平成九年度に就職協定が名実ともに廃止されてから六年目を迎え、完全失業率が五パーセントを超すと叫ばれる世相にあって新卒学生の就職活動も過去最大の困難を極めると、新聞やテレビからも就職課の窓口からも連日脅迫されていた。そんな脅しに屈したわけではないが、ボクは就職活動をするつもりは全くなく、周囲からあえて超然とした立場をとり、面接試験やセミナー、OB訪問などに一喜一憂する彼らを横目に見ては鼻先で笑っていた。彼らが就職課の掲示板に立ち寄れば、ボクはその傍らで顔を背けて煙草をふかすというのが見慣れた光景になりつつあった。そんなボクに対して “オマエはいいよなぁ、気楽で”とつぶやくのが彼らの口癖になっていた。しかし彼らにそう言われるたびにボクは、“それは違う!”と内心激しく反発し、“オマエらにオレの気持ちがわかってたまるか!”と、やり場のない憤りに奥歯を噛むのが常だった。
 ボクは今の大学(都内の芸術系私立大学)に入学するまでに三年間浪人した。だから、“こんなご時世、三浪の奴にまともな就職口などあるはずない。やるだけムダさ…”というニヒリズムという名のひがみと諦めがボクを就職活動から遠ざけていた。それはまた、官僚や政治家の汚職事件ならまだしも、巨大企業の相次ぐ経営破綻や前代未聞の不祥事など、どこをどう窺ってもいかがわしさばかりがちらつく世の中で、そしてそんな企業・経済活動の世界的象徴ともいえる二つの超高層ビルに旅客機が二機も突っ込んで二つともあっという間に倒壊してしまうような、「新しい戦争」などとうそぶいて国際法の正当な手続きを経ない軍事侵攻が平然と罷り通るような時代に、馬鹿正直に就職して月給取りになったところで何になる!? という周囲と社会と自分自身に対する無言の抵抗でもあった。
 だから、とりあえず旅に出るしかなかった。そしてそれは実際には現実逃避に他ならないことも一方で自覚していた。

 都内の自宅アパートを三日前に出発したボクは、国道一五号線と一号線と一三四号線を使って品川、横浜、湘南と突っ走り、箱根を越えて芦ノ湖の近くにあるユースホステルで二泊した。それから一号線をひたすら西に進んで静岡までやって来た。途中、湘南では暴走族に絡まれ、箱根では同部屋になった初老のおじさんがホモでカラミを要求されるなどのハプニングはあったものの、ここまでほぼ予定どおりに来ていた。そしてさらに国道一号線をひたすら西に向かって走り続ける予定だったが、あまりにも予定どおりでは芸がないのでは? とふと思った。そこで何かおもしろい場所はないかと地図に目を通していたら、すぐに目に留まったのが寸又峡だった。
寸又峡─何よりもこの名前にひかれた。寸又峡。スマタキョウ。スマタ…これはきっと何かある! 地図で見ると静岡市内から約四〇キロ北に行ったところにある。ちょうどいい距離だった。それに海台の平坦な国道一号線をひたすら走り続ける旅にアクセントをつける意味でもぜひ行ってみるべきだとボクは決意した。

 丸子路にある吐月峰柴寺の日本庭園に泳ぐ卑しい鯉たちと戯れて油を売っていたら、寸又峡に向かって走り出したのが午後四時を回ってしまった。約四〇キロほどの道のりなら一時間も走れば着くだろうとボクはたかをくくっていた。
丸子藁科トンネルの辺りから北上する国道三六二号線は、しばらくするとゆるやかな登り坂になり、左右に切り返すカーブが多くなる。藁科川沿いに民家が立ち並び、山間ののどかなたたずまいを見せる。丸子路を出発したときから空模様が怪しかったのだが、走り出して間もなく本格的に降り始めた。といっても小雨だったので、いちいちバイクを止めて重たい荷物の中から雨具を取り出すのが面倒くさかった。山の天気は変わりやすいといわれるが、一時間もすれば寸又峡に着くはずだから濡れてもたかがしれているだろうと、ボクはまたたかをくくって先を急いだ。
 ほどなく周囲の民家がまばらになり、道も急勾配が左右に大きく旋回する本格的な山道に入った。油が乗りきった我が愛車=ホンダTLR200R(一九八三年産)は好調だった。まさに面目躍如とばかりに重厚な排気音を響かせて山間をくり抜いていく。気がつくと国道三六二号線は今やすっかり深い林に包まれていた。民家どころか道路標識すらもはや見当たらない。先刻から振りだしていた小雨はここへ来て薄い霧に変わっていた。深い林に包まれた道はさらに深い暗闇に包まれ、ヘッドライトを点けても視界がおぼつかなくなった。ボクはさすがに不安になった。ホントにこの道を行けば寸又峡に着くのだろうか? ひょっとしたらどこかで道を間違えたんじゃないか? 地図で確認しようにも周りに目印になるものが何もないので自分が今どこを走っているのか全くわからなかった。そしてこの不安は、自らが決定的な失敗を犯してしまったことを気づかせた。(続く)

 

(リアル)まっこい34
2003.12.18


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