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いそのカツオをブッ殺せ! Sumata
<2>

ガソリンだった。箱根を発つ前に一度入れて以来全く給油をしていなかったことに気づいたのだ。慌ててバイクを止め、ガソリンタンクを開けて中を覗くと、ガソリンは風前の灯火だった。タンクを左右に振ってみるとカシャカシャと申し訳程度の手応えがある。今さら自分の不注意を嘆いても手遅れだったが、ボクは嘆いた。今自分がどの辺りを走っているのか、あとどれくらい走れば寸又峡に着くのか、全く見当がつかない。はたして寸又峡まで持ちこたえられるのか? もし途中でガス欠したら、霧と闇で閉ざされたこの深い林の中に独り置き去りにされてしまう。それはすなわち死を意味するのではないか…ボクは生まれて初めて死の恐怖というものを感じた。一昨年九月一一日の事件で犠牲になった人たちのことを、そして今現在、イラクやアフガニスタンでアメリカ軍の「大量破壊兵器」の真下にその身をさらされている子供たちのことを思えば、ボクが感じている死の恐怖など全く笑止千万なのだが、にもかかわらず、今まで東京での学生生活のぬるま湯に浸りきっていたボクにとって、情けないかな、ここ南アルプス裏側の霧と闇はそう感じさせるに十分な冷たさがあった。
 ボクは迷った。引き返して麓にガソリンを入れに行くべきか…しかし引き返したところでガソリンスタンドまで辿り着けるとは限らない。ひょっとしたら麓のガソリンスタンドよりも寸又峡のほうが近いところまで来ているのかもしれない。それに今引き返したら日没までに寸又峡に着くことが不可能になるのは確実だった。それ以上に引き返すという保守的な行為そのものが癇に触った。なぜなら、行けるか行けないかに賭けてみることをボクはこの東海道の旅における一つの主題にしていたからだ。同時にそれは今後の人生に対する試金石でもあった。つまりここで引き返したら、これからのボクは相変わらず引き返しの人生、すなわち過去を振り返ることばかりを不本意なライフワークとしてしまうのではないかという懸念を抱いたのだ。相変わらずと言ったのは、今までのボクがそういう半生を送ってきたからに他ならない。

ボクは今の大学、というより大学に入ったこと自体をずっと後悔してきた。そもそも大学など行きたくなかった。かといって他に何がしたいというわけでもなかった。だから、「高校を卒業したら大学に行くのが当たり前」という世間の無言の周囲のあからさまなプレッシャーを受けた「いかないよりはマシ」という至極月並みな動機でボクは大学に入学した。しかも入学までに三年も費やした。浪人時代の三年間はいたずらに過ぎていった。そして大学に入学してから今日までの三年間は、浪人時代のいたずらに過ごした時間と空間を取り戻そうと右往左往してばかりいたという意味でやはりいたずらに過ぎていった。
過去の時間と空間を取り戻す─それは物理的にはもちろん不可能だが、有意義な学生生活を送ることで精神的にかろうじて可能ではないかと考えていた。有意義な学生生活を送るためには「やりたいこと」が必要だった。しかし、この三年間一向にそれは見つからなかった。さしあたってやりたいこといえばセックスぐらいしかなかった。だからボクは両親からの仕送りを浪費して風俗に行きまくった。しかし、射精した瞬間に満足感とはほど遠い虚脱感と疲労感に襲われるのが常だった。そして店を出て西日のまぶしさに目をすぼめると、それはたとえようもない罪悪感と自己嫌悪に変わっていた。“官僚や政治家の相変わらずの汚職事件や一向に収集のつかない銀行の不良債権問題や政府の累積債務など、世の中のデタラメなお金の使い方に比べれば、オレが両親の仕送りを浪費することなどカワイイもんじゃねーか!?”と、帰りの電車の中で身体にこびりついた不快なにおいを気にしながら無理やり居直ってみるものの、やはりまた時間と空間をいたずらに過ごしてしまったことへの後悔は否めず、それを取り戻そうと翌日からまた右往左往する、というのがこの三年間の等身大のボクの有様だった。
 そうこうしているうちにそんな学生生活も最後の一年を迎えるに至った。ボクは焦った。
“このままではせっかくの学生生活もまたいたずらのまま終わってしまう…キャンパスライフを一度も謳歌することなく社会に放り出されてしまう…”
そうならないためには大学を卒業する前に何か酔狂なことをやらなければならなかった。周囲が就職活動をしているなら自分は何か違ったことをやらなければならなかった。
“バイクで旅に出なければ…”
そんな脅迫観念によって引き起こされた焦燥が、まさにこの旅の衝動の正体だった。だから“オマエはいいよなぁ、気楽で”と同級生たちに言われるのはひどく心外でボクは憤慨するのだった。

周囲を覆っていた薄い霧が本格的な濃霧に変わってきた。ボクは苦肉の策として、下り坂ではエンジンを切ってギヤをニュートラルに入れて惰性任せでバイクを転がした。チェーンとスプロケットが回転する乾いた音と、タイヤが地面を這う湿った音とが虚しく木霊した。そんな無機質な音を聞きながら、そこに自らの虚しい輪廻転生を感じるなどという感傷的な気分にはなれなかった。とにかく腹が立った。この腹立ちをどこにぶつけよう? 国道三六二号線の道路へか? それとも燃料タンクの容量が六リットル強しかない我が愛車TLR200へか? それとも南アルプスの天候と自然へか? いずれにせよ正当な腹立ちではなかった。本来ならばこの腹立ちは自分自身に向けるのが筋だった。しかし今やボクには筋の通った思考と感情など存在しなかった。そもそも筋の通った思考や感情ほど危ういものはないという穿った物の見方をいつの間にか身につけてしまっていた。そしてまた、自分の身に降りかかる災いをすべてツキだとか生い立ちだとか遺伝子だとか、そういう実体のないものに責任転嫁する精神的態度までも身につけてしまっていた。
しかし最近はそれら以上に、「筋を通す」という言葉自体がもはや空虚で無意味なものに思われていた。一昨年九月一一日の背景にある長大な事実を黙殺し、どう見てもできの悪いやくざの二代目親分としか言いようがないようなインチキな目つきと気色悪いニヤケ顔の大統領が唱える猿でもいかがわしいとわかる「正義」の言葉尻に乗り、もはや確信犯としか言いようがないふざけた対応と報道しか行わないこの国の有様を見れば、その思いは疑いようも慰めようもなかった。
いうなればそれは「言葉の不毛」だった。それはまたボクの周囲でも耳を覆いたくなるような惨状だった。
「オッハーッ!」
「ってゆーか、ぶっちゃけてマジでヤバイ!」
人気男性グループの「メンバー」たちが口にする不用意な「テレビ言語」に誰も彼もが汚染されていた。思うにそれは、主にハリウッド映画によってアメリカナイズされた戦後わが国の社会生活が産み落とした「鍵っ子」あるいは「鬼っ子」の言語ではないか?! それはまた「やらせ言語」ともいえた(テレビがバラエティー番組はもちろんのこと、時にはニュースでさえもやらせであることは周知の事実だし、一九四一年一二月八日と同じように一昨年九月一一日もブッシュ政権によるやらせの疑いが拭いがたいし、そもそも、二百十数年前の建国から今日に至るまでのアメリカの歴史そのものが大いなるやらせなのだ)。
 しかし、かく言うボクもそんな「テレビ言語」=「やらせ言語」を無自覚に口にしたことが何度もあっただろうし、それ以前に、広島県の田舎町で生まれ育ったボクは人一倍都会の生活=アメリカナイズされた都市生活に強い憧れを抱いて上京してきた。それ
でも、ここ数年の周囲と世間の言語活動の有様はやはり耳に余るものがあった。一頃マスコミ(この言葉自体立派なテレビ言語だ)に持ち上げられた女子高生たちの言葉の乱れを通り越し、それは日本人が日本人であるための足腰を揺さぶる次元まで達しているように思えた。皮肉にも大学で言語学を専攻してチョムスキーを学んでいるボクにとって(ただし、チョムスキーの言語学そのものより、彼の政治的発言や活動に興味を引かれていた)それは非常な切実感を以て自覚されていた。
「現代人の日本語は狂ってますねぇ。マジで…」
そう嘆く教授の日本語も狂いつつあることを、どうやら彼は自覚していないようだった。言葉が狂っているということはすなわち、生活も人格も社会も狂っているということではないか…ボクはここ数年ですっかり周囲と世間と自分自身に対して疑心暗鬼に陥っていた。そして彼らとの溝は深まる一方だった。「言葉の不毛」の世界から、「テレビ言語」にまみれた世の中からとりあえず逃避したい─今回の旅の動機の一つにそれがあった。

 途中何箇所かあった別れ道は「寸又峡○○km」という道路標識の矢印を頼りに進むしかなかった。どれも小さくて粗末な標識だったが、そこに記されている文字や記号にボクは絶大な信頼感と安堵感を覚えていた。普段は文字や記号に溢れた中で生活しているのでその存在意義を意識することはほとんどないが、一度文明社会から隔絶されたところに身を投げ出してみると、文字や記号が人に与える心理的影響力が予想以上に大きいことを知らしめられる、などと考えながら走っていたわけではないが、とにかく文字や記号というものがこれほどまでに心強く、ありがたく感じたことはなかった。と同時に、普段あれだけ嫌気が差していたテレビ言語の世界に強烈な郷愁感を覚え始め、そんな内面の矛盾を容易に自覚してしまう薄弱な自分にボクはまた嫌気が差すのだった。
 自己の矛盾を自覚したボクは寂しく落胆した─「冒険というのは、ボクが考えるに、すべてを投げ出して生きるか死ぬかの勝負を賭けるんではなくて、家族や恋人や友人など、守るべき日常があるからこそ非日常的な冒険に出る意味があると思うんだよね」─バイクで北極点到達やエベレスト登頂最高点記録達成などで知られる冒険家=風間深志さんにかつて縁あってお会いしたときの彼の言葉がボクの記憶の底から突如としてわき上がってきた。はたしてボクに「守るべき日常」などあるのだろうか…?
 ボクの学生生活は文字通り倦怠であり、その私生活は悪い意味で安泰以外の何ものでもなかった。ボクには恋人がいなかった。いや、いたことがなかった。ボクは常に身軽で身一つだった。自分の身体を誰とも共有したことがない寂しさと悔しさを常に噛みしめていた。なぜそのような存在に成り下がってしまったのか自分でも全く見当がつかなかった。容姿が著しく劣っているわけでもない(むしろ整っているほうだと思う)三浪はしたがそれはあくまでも自己のモチベーションの問題で、勉強も運動も人並み以上にできるはずだった。性格は、内面はこのように鬱屈した因子をいくつか抱えているものの外面はきわめて陽気に振る舞っていた。気が進まないながら俗な手段もいくつか試みた。けれど結局ダメだった。
“オレは根本的に人間的魅力に欠けているのか?”
ボクは何度も自問自答した。けれど自己否定の痛みに耐えきれず、最後には“相手に見る目がないんだ”あるいは“そういう星のもとに生まれてしまったんだ”とやはり責任転嫁するしかなかった。
 しかしその一番の原因は、先に触れた「言葉の不毛」にあるのではないかと最近ようやくわかってきた。つまり「テレビ言語」の影響下にある彼女たちと、それに吐き気を催すまでの嫌悪感を覚えているボクとでは根本的に言語が違うのだ。言語が違えば思考回路も感情発露の過程も行動形態もまるで違い、したがって人格としてお互いにすべてが相容れないのだ。しかし、それは何も女性だけに限ったことではなかった。
言語の違いはすなわち文化の違い、もっと言えば人種が違うのではないか…深まる一方の疑心暗鬼と溝は、ボクからコミュニケーションの意欲と能力を確実に奪いつつあった。

なんだかんだ言っても、とにかくボクは恋人がほしかった。人並みに恋愛がしたかった(先に触れた「やりたいこと」も結局はこれだった)。ボクは重たくなりたかった。穢れたかった。事件に巻き込まれたかった。けれど浪人時代も含めた東京での六年間は潔
癖なまでに安泰だった。
 安泰も倦怠も言い換えればすべて憂鬱だった。ボクの日常はまさに憂鬱そのものだった。そんな日常がはたして「守るべき日常」なのか…? そんなはずがなかった。憂鬱にまみれた日常が「守るべき日常」であるなら、わざわざこんなバイクでの旅に出る必
要などなかった。憂鬱な日常を抜け出して栄えある日常への糸口を掴むために、ボクはこの東海道の旅に出たのだ。
 憂鬱な日常を脱出したはずのボクだったが、実際に脱出できたのは走り始めてからわずか一時間足らずの間だけだった。一時間もすると、旅の喜びに弾んでいた胸は、尻の疲労とともに勢いをなくしていった。後は日常と変わらない、いや、日常以上の憂鬱が襲ってきたので狼狽した。横浜の雑踏にまみれても、湘南の朝を感じても、箱根の温泉情緒に触れても、由比の富士を臨んでも最後に出会うのは憂鬱だった。どうしてここまで憂鬱にとりつかれてしまうのか、我ながら呆れるくらいだった。
 そんなボクにさらなる悲劇が襲った。ボクと一蓮托生の運命にある愛車=TLR200が、突然気の抜けたような鈍い音を残してその動きを止めたのだ。次の瞬間、ボクは叫んでいた。いや、わめいていた。二五歳になる大の大人が(いや、ボクは自分を大人だと認めたことはいまだ一度もない。大人とは何だ?!)ぶざまにも、夕暮れの山奥で雨に打たれながら一人わめき散らしていた。わめき散らしながらボクはバイクを飛び降り、一心不乱にバイクを押し始めた。
 ガス欠だった。このガス欠が何を意味するのか? その問い自体もはや自問したくなかった。その答えは自覚しすぎるほど自覚していた。その答えはすでに現実となって死に神のごとく迫っていた。だからボクはわめき散らした。見苦しいまでにわめき散らし
た。誰も見ていなかったけれども。
いつまで押せば人気のあるところに辿り着けるのか? 見通しは決して明るくないどころか、はっきり言ってお先真っ暗だったが、それでも押し続けるしかなかった。いつの間にかこれまでの闇に閉ざされて狭く蛇行しているのとは違い、広く視界が開けて一直線に続いている坂道になっていた。はるか前方に坂の頂上が見えた。坂の頂上が明るいような気がした。坂の頂上に灯りがあることを期待した。それでも天を仰げば、たちの悪そうな雨雲に支配されて無情にも暮れゆく曇り空。冷たく険しくおぼろげな山の端。左右を見れば、雨露をかぶって陰湿に変質した杉林。そしてボクの前にも後ろにも、ボクとボクのバイク以外には何者もいない。正常に五感を働かせれば、発狂してもおかしくない状況だったのでボクは発狂した。発狂したとしか思えないくらい、心身ともに鬼神のような形相でバイクを押して坂道を駆けた。
 幸い、しばらくすると登り坂の頂上までたどり着いた。それでも、見通しは良くても明るくはない下り坂は待ちかまえている。はたしてここを下れば、いや、必ずやここを下ればと信じて、いや、念じて再びバイクに跨り、再び惰性に任せて、いや、惰性という大いなる物理的法則にすべてを託して坂道を下り始めた。(続く)

 

(リアル)まっこい34
2004.1.15


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