その39 |
『Amazing Grace The Complete Recordings』 1972/1999 Aretha Franklin |
どんぶりに盛られたご飯の上には小ぶりの牛が乗っていた。 壁の張り紙には“よく叩いてからお召し上がり下さい”とある。 カウンターに座っている他の客たちは、すりこぎで丹念に叩いている。 オーストラリア産のようだ。 店内は牛の断末魔の鳴き声(普通のモーよりキーが高い)であふれていた。 ……うたた寝だった。さっきから数分もたってない。 やはり、吉牛の特盛り二杯は食べすぎだったか。 アパートの前の高速道路を通過する車やトラックの音が部屋に響いている。 目が冴えてきた。何度も時計を見るが時間は全然進まない。 今日感じていた気分や感情は既に消えてなくなっていた。 ふいに不安が染みだしてきた。近い将来、2、3日後、明日の不安。 黒いもやが体中に広がっていくような気がした。 激しい動悸を抑えられなくなって起き上がった。 何もすることが思いつかない。部屋をウロウロするしかなかった。 音楽を聞こう、ローラ・ニーロの「イーライ」を探すが、CD棚にはない。 何故だ? 友人に貸したのを思い出した。 ブルー・ナイルは……、ブルー・ナイルの「ハット」もない。 汗が噴き出してきた。冷汗なのか脂汗なのか分からない。 レコードを何千枚持っていようが、最も必要としている時に 聞くものが一枚もないなんて。 虚しいだけだ。ひどく虚しい。 こういう時、家族を持っている人間なら、子供の寝顔を見て安心したりするんだろう。 でも、僕がここからいなくなったとしても、誰も困る人はいない。 まだ夜明けまで3時間もある。堪えられない気がしてきた。 アリサ・フランクリンのゴスペル・ライブ・アルバムが目に留まった。 試しにかけてみる。 アリサの歌に気持ちが落ちついてきた。 腰を下ろし耳をすました。 バックバンドの演奏もゴスペル合唱団の歌も観客の熱狂もいらない。 アリサの歌とピアノ、今はそれだけでいい。 人を持ちこたえさせることができる音楽。 それを生みだせることのできる人。すべてが尊い。 あとしばらくすれば夜が明け、朝がくる。 それだけは確かなことだ。 |
キシタケ(2004.2.18)
キシタケ音楽四方山噺 Copyright(C) 2004 キシタケ デザイン: おぬま ゆういち 発行: O's Page編集部 |