その40 |
『Speakerboxx /The Love Below』 2003 outkast 『Raising Hell』 1986 Run D.M.C. 『By All Means Necessary』 1988 Boogie Down Productions 『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』 1988 Public Enemy 『Critical Beatdown』 1988 Ultramagnetic M.C.'s 『Timeless-The Single Collection』 2003 DeLa Soul 『No Nose Job /The Legeng of』 2001 Digital Underground 『Cypress Hill』 1991 Cypress Hill 『The Low End Theory』 1991 A Tribe Called Quest 『Bizarre Ride U The Pharcyde』 1992 The Pharcyde 『Check Your Head』 1992 Beastie Boys 『Full Clip-Decade Of』 1999 Gang Starr |
まだ決定ではないようだが、アンドレ3000がジミ・ヘンドリクスの伝記映画の主演をやるというニュースを見た。監督はヒュ−ズ兄弟(『メナース・U・ソサエティ』『フロム・ヘル』)。 伝説のロック・ギタリストの生涯を映像化する企画は大昔から浮かんだり消えたりしていて、その都度プリンスやらエディ・マーフィ(似合わないよ)やらテレンス・トレント・ダービーやら2・パックやらウイル・スミスやらシールやら、まぁ、その時々の旬の黒人スターが主演候補として取り沙汰されてきた。 今はそれがアンドレ3000というわけか。 誰やそれと言われそうだ。 元宝塚では勿論ない。 アメリカ南部の都市、アトランタのヒップ・ホップ・コンビ「アウトキャスト」の片割れ。 ジャケット写真の右側の人です。 昨年出た、5枚目にあたる2枚組アルバム『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』(今もバカ売れしてる)は今年のグラミー賞の最優秀アルバムに選ばれた。 すごく面白いアルバム(昨年の僕のベスト5には確実に入る)、でも前の年はノラ・ジョーンズのアルバムが受賞したわけだから、へぇーアウトキャストがねぇ、という意外な感じ個人的にはした。 そうだ、昨年一番売れたヒップ・ホップ・アルバムを出したギャングスタ・ラップの50セントは全ての賞から漏れ(意外にも新人賞まで)、怒って壇上に勝手に上がって暴言を吐いたという。 なんだかなぁ、げーのー界してるというか、うんざりするね。 気がついたらヒップ・ホップは音楽業界の超ど真ん中の主流なわけだ。 もっとも僕はグラミー賞もアカデミー賞もほとんど興味ない人間ですが(ラズベリー賞は結構好きだ)。 10年くらい前まではアメリカのヒップ・ホップを熱心に追いかけていた。 ちなみに、ヒップ・ホップとはDJ、ラップ、グラフィティ、ブレイクダンスの四つの要素からなるニューヨークから生まれた文化的ムーヴメント、と僕は認識している。 ここではDJとラップからなる音楽的側面にしぼって話しをします。 86年、ラン・DMCの『ウォーク・ディス・ウェイ』をラジオで聞いた時。 それが始まり。 見事にブっ飛び、財布つかんでチャリぶっ飛ばしてレコード屋に走った。 あんなことは後にも先にもあれ一回きり。 ど田舎のレコ屋で買ったのは勿論アナログ盤。 86年といえば、プリンスの『パレード』やキャメオの『ワード・アップ』ピーター・ゲイブリエルの『SO』、ジャネット"ぽろり"ジャクソンがジャム&ルイスのプロデュース作『コントロール』でヒット街道を驀進し始めた年。 ツメ襟着て毎日学校に行ってたなんて今では信じられないな。 いや記憶違い、3日に一度は行ってませんでした。 ウチでチマチマとベースの練習をしてた(学祭バンドでベースとヴォーカルをやった)のが、ヒップ・ホップという未知の音楽スタイルにガツンとやられてパッタリと止めてしまったのも覚えている エアロスミスのヴォーカルとギターをフューチャーしてハードロックなギター・リフを響かせている曲ではあるんだけど(プロデュースは後にレッチリ等を手がけてロックの大御所プロデューサーになるリック・ルービン) あの重いビート スクラッチ・ノイズ -ターンテーブル上のアナログ盤を手で押さえて、パーカッションのようにリズミカルに暴力的なノイズを繰り出す- ブレイク・ビーツ -他人のレコードから気に入ったパート(主に曲がブレークする部分)を取り出し(サンプリング)、ループさせて曲のバック・トラックとして使う- アナログ・プレーヤーを楽器として使う発想 そして主役の二人、ランとDMC まどろっこしくて歌なんか歌ってられっかよとばかりに、かけあいでしゃべくる怒鳴る こんなのアリか!? 全てがパチパチパンチのような衝撃だった。 こんな感じでヤラれた奴は世界中にいたようだ。 ニューヨークの街の片隅で、黒人の若者たちのハヤリの遊びとして始まったものが爆発的に支持者を増やした瞬間だった。 間髪入れずにビースティー・ボーイズが出てきて、 次の年はブギ−・ダウン・プロダクションズと、あのNo.1ヒップ・ホップ・グループ、パブリック・エネミーがデビュー。 あとは雪崩れのごとく得体の知れないレコード群が襲ってきて、 買うレコードの中でヒップ・ホップものが占める割合がどんどん増えていった。 少ない情報を頼りに買ってもハズレだというものはそんなになく、年を追うごとに更に少なくなっていった。 既存のミュージシャンや音楽ライターから 「あんなの音楽じゃない」 「一年後には消えてなくなってるよ」 「ガキの遊び、単なる一発芸だ」なんていう批判が浴びせられたのもこの頃。 でも全く批判に聞こえない。むしろヒップ・ホップの魅力を見事に突いたホメ言葉のようにそれは聞こえた。 やかましいだけの非音楽のノイズ 来年にはもう消えてなくなってるかもしれない、だからこそ今聞かなければ。そんな感じだった。 正直言うとライム(詩)の内容は訳を読んでもよく分からなかった、ラッパーたちが聞かせ届かせようとしてる対象には明らかに外れている部外者なのだ。 もどかしさは感じた、でも聞かずにいられない。 熱気だったのだろう。新しい音楽が誕生する時の、周りをも巻き込んだ熱気。 多分レコードから聞きとりたかったのはそれだったんだと思う。 だから、個々のアーティストのそれぞれのアルバムを云々するという感じは未だにあまり持てない。 ピック・アップしたアルバムも代表的なものをあくまで一つまみ、シングル曲の方が好きだったアーティストはベスト盤にしてます。 ひとかたまりの集団が次々と出していったレコード。 連中は鉱脈を発見したのだ。狂喜乱舞しながらザクザク掘り進み、光り輝く円盤を届けてくれた。 毎夜毎夜のドンちゃん騒ぎ、奴らのやってたことは正しかった。 宴はいつか終わるものだが、レコードの溝に刻まれた黄金は永遠に残る。 |
キシタケ(2004.3.4)
キシタケ音楽四方山噺 Copyright(C) 2004 キシタケ デザイン: おぬま ゆういち 発行: O's Page編集部 |