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いそのカツオをブッ殺せ! Sumata
<3>

 その光景が目に飛び込んできたとき、ボクは絶叫した。坂を下って辿り着いた所は小さな町だった。どんなに小さくても人気のある所だった。人の灯りがあった。平凡な雨に打たれたその町は、東京の喧噪が染みついたボクにとっては物寂しくうらぶれた佇まいだったが、それでも絶叫を終えたボクは安堵のため息をついた。しかし、いつまでも安堵してばかりはいられない。とりもなおさずガソリンスタンドを探して給油しなければ。そしてここがどこなのか、何という町なのか、寸又峡まであとどれくらいかかるのか火急に確認しなければ。

 幸いスタンドはすぐに見つかった。すぐに見つかったけれども、こんな田舎町なので休業中もしくはすでに終業という恐れもあったが取り越し苦労だった。給油タンクが二つしかないその小さなスタンドにボクは駆け込んだ。

 しばらくして出てきたのは、小柄な初老の女性店員だった。

「レギュラー? ハイオク? 現金?」

その店員(おばさん)が無愛想に尋ねたので、「ハイオク。現金で」とボクは淡泊に答えた。どんなに無愛想でも人と会話を交わすのは久方ぶりだったので(実際には二時間も経っていないはずだが)たまらなく懐かしく、泣きたいくらいにうれしかった。

 おばさんがガソリンを入れている間、ボクはジャケットのポケットからツーリングマップを取り出して開いた。しかしここ数時間五感が正常な活動を停止していたせいか、今いるこの町が地図上のどこにあたるのか、はたしてここは寸又峡から近いのか遠いのか、理解に苦しんだ。それに先刻までボクの身体を打ち続けた陰湿な霧雨のせいで、ポケットの地図はびしょ濡れになり、おまけに濡れた手袋で無造作にページをめくったものだから、ほとんどのページが金魚すくいの和紙(ポイ)のように破れそうで破れないが結局は破れるというような有様になっていた。

「すみません、ここ、何て言う所ですか?」と思いきっておばさんに尋ねてみた。するとおばさんは、

「えっ? ここ? センズよ」と、やはり無愛想に答えた。ボクは地図上に目を走らせたが、おばさんの言ったセンズという地名はなかなか見つからなかった。

「センズじゃ地図ではわかりづらいかな。センズゆーたらホンカワネよ」

地図上で迷っているボクを見かねておばさんが言った。センズ=千頭。ホンカワネ=本川根ということらしい。もう一度地図に目を走らせると、ボクが目指す寸又峡温泉一帯が本川根町という地域で、今ボクがいるのはその本川根町の中心に当たる千頭駅の周辺であることがわかった。

千頭こと本川町は、東海道本線の金谷駅から枝分かれする大井川鉄道本線の終着駅かつ、現存する唯一のアプト式鉄道として知られる同鉄井川線の始発駅として寸又峡や接阻峡、井川湖など奥大井探勝の起点となる町であり、一九三一年に全線開通した大井川鉄道は現在では全国でも希有のSL車両が一日三往復運行され、シーズンには多数の行楽客を集めるという。

「ここから寸又峡まであとどれくらいかかりますか?」

「バイクなら一〇分もあれば着くっとよ」

おばさんはガソリンを入れ終えて給油口をしまいながら答えた。ガソリンがいっぱいに溢れているタンクを見ながらボクは密かに歓喜して山間の道路標識たちに感謝した。

 代金を払ったボクは、はやる気持ちを抑えることなく、あからさまに慌てて財布を胸ポケットにしまい、五〇〇円玉が地面に落ちた。必死で拾った。不愉快に濡れた左手から順にグローブを着け直し、右手のグローブが地面に落ちた。また必死で拾った。

 ボクはキックペダルを蹴ってTLRのエンジンをかけた。ブーツの中も不愉快に濡れていた。指先からつま先まで完膚無きまで濡れていることに改めて気づいた。ヘルメットの中も濡れていた。ボクは強烈な寒さを感じた。寒さを感じるのは今に始まったことではないが、今までは孤独や恐怖など精神的なものと密接に結びついていたものだったので、純粋に身体的な感覚としての寒さを感じるのはこれが初めてだった。

 震えが止まらなかった。エンジンマウントの周りに両手を押し当てて暖をとっても、気休めにもならなかった。

「ちょっと暖まっていかんかね?」

ガソリン代を受け取って素っ気なく奥の事務所に引っ込んだはずのおばさんが、再び顔を出してそうボクに言った。その瞬間、ボクはどんな顔をしただろう? 何と声を発しただろう? 覚えていない。思い出せない。まさかこの無愛想なおばさんが…! という驚きと同時に、救われたような気持ちになった。この寒さから救われたということだけではなかった。寒さだけでなく、恐怖と孤独からも本格的に救われたような気がした。ボクはバイクのエンジンを切ってガソリンスタンドの隅に駐輪し、少し恐縮しながらおばさんのいる事務所に入っていった。

 事務所の中は、予想どおりおばさん一人だった。おばさんは相変わらず無愛想な顔をして古びた石油ストーブの前に座っていた。ボクはやはり恐縮しながらおばさんの隣に並んだ。懐かしい音を立てながら燃える石油ストーブは、暖かさ以上の何かを感じさせた。

「東京から来とると?」

おばさんが尋ねたのでボクは、「はい」と答えた。続けて「仕事かね?」と、おばさんが尋ね、「いや、まだ学生なので。ただのツーリングです」と、ボクが答えると、「そうかね」と言っておばさんは少しだけ笑顔を見せた。

 旅の見知らぬ学生が寒さに苦しんでいる。しかし、苦しんでいるといっても所詮はツーリングという道楽でたまたまここを通りかかったにすぎない。にもかかわらず、親切に声をかけて暖をもてなしてくれる。そんなおばさんの心づくしにボクは素直に感動した。おばさんにとっては取るに足らない心づくしであったとしても、それはボクの心の深い一点を、柔らかく優しく捉えた。ガソリンスタンドのおばさんに声をかけられてストーブに当たらせてもらっただけでなぜこれほどまでに感動するのか、少し涙ぐみながら考えていた。いや、実は考えるまでもなく、この哀しい感動の理由はかすかながらもすぐに脳裏をかすめる─それは憂鬱だった。この旅を始めてまもなく、ボクは未曾有の憂鬱に襲われ、旅の間中ずっとそれにつきまとわれていることはすでに触れた。おばさんの心づくしから受けた感動も、実はこの憂鬱と図らずも密接にかかわっているに違いなかった。そして感動と同時に後ろめたさのようなものも感じた。このおばさんはここで一人でこうして働いている。それなのにオレは、もうすぐ二五歳になるオレは、ここでこうして冷えきった心と体を必死で慰めている─この後ろめたさは、ボクが常に抱いている両親への罪悪感とおそらく同質のものだった。

 古びた石油ストーブが相変わらず懐かしい音を立てながら燃えていた。差し出したボクの両手のグローブは勢いよく乾き、上下も徐々に湿気を蒸発させていった。

おばさんは部屋の隅にあるテレビをじっと眺めていた。そこには今にも始まろうかとしているアメリカのイラク侵攻についてのニュースが映っていた。ブラウン管の向こう、不穏な顔色と声色で臨戦態勢にある現状を知らせる従軍特派員たちの背後にあるバスラやバグダッドの景色と、ボクが今いるこの時間と空間とがやたら落差と違和感があるように思えた。



先にボクは「やりたいこと」について、結局は女以外にあり得なかったと振り返った。しかし一昨年九月一一日以降、ようやく他にやりたいことが見つかりつつあった。それは「平和な世界を作りたい」というあまりにも雲をつかむような話だったが、広島市に隣接する湯来町というところで生まれ育ったボクにとってそれは決して場当たり的なものでもなかった。小学生の頃、両親に連れられてダイ・インに参加したこともあったし、高校時代には友達とバンドを組んで平和記念公園でジョン・レノンの『ギヴ・ピース・ア・チャンス』や『ブリンギング・オン・ザ・ルーシー』をやって大いにアジったこともあった。つまり、しばらく潜在化していた平和や反戦に対する意志と意識が一昨年九月一一日以降にわかに顕在化し活性化したのだった。ボクは有事法制やアフガニスタンおよびイラク侵攻への反対イベントやパレードに積極的に足を運ぶようになった。しかし、そこでのボクは今一歩乗り切れていなかった。それは、「もはや戦後ではない」だの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だのと我が世の春を謳歌していた戦後世相の陰で、アメリカの片棒を担いでいわゆる南側の貧しい国々の民衆から直接あるいは間接的に搾取簒奪を続けていたというわが国の社会構造が、今回のアメリカのイラクに対する露骨な侵略の構えとそれに加担しようとする日本政府の姿勢でようやくわかったからだった。だから、倫理・道徳的に戦争に反対するのももちろん正しいのだが、もっと訴求力を備えて真実味を帯びるためには、戦後金科玉条の価値観となった「経済成長」という概念から脱却し、商品・貨幣経済ではない社会・生活形態に立脚し、つまりかいつまんでは、物質的に豊かな生活(大量生産大量消費)を捨ててまで戦争に反対する覚悟がはたしてあるのか否か、ボクは自問自答せずにはいられなかった。

しかし、その答えが否であることは自明の理だった。そんな覚悟があるはずがなかった。なぜなら、「平和な世界を作りたい」という純粋な動機の一方で、「イベントに参加すれば何かいいことがあるかもしれない」という極めて俗な期待があり、パレードの列に加わってプラカードを掲げながらメッセージを繰り返しつつも、道ばたの色気づいた女の子たちに目移りしたり、脳天気なカップルたちを羨望の眼差しで見送ったりするのが常だったからだ。要するに、「平和な世界を作りたい」という「やりたいこと」以上に、やはり「彼女がほしい」という「やりたいこと」のほうが上回っているのに気づいただけだった。それはまたまさしく自己矛盾であり自己欺瞞でもあった。そしてそんなイベントやパレードにおいてもボクは周囲の「同胞」たちとの言語の違いに苦しんだ。同時に、イベントやパレードの外側にいる人たちの無遠慮な視線を受け、彼らとの救いがたい距離感を覚えざるを得なかった。



「寸又峡まで行くと?」

おばさんが尋ねた。ボクはただ「ええ」とだけ答えた。

「雨降っとるから気つけて行かんと」

窓の外を眺めながら、おばさんが言った。

 

(リアル)まっこい34
2004.4.14


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デザイン: おぬま ゆういち
発行: O's Page編集部