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いそのカツオをブッ殺せ! Sumata
<6>

 「少し酔いを醒ましてから」と言って荒井注たち藤枝軍団はいったん彼らの部屋へ引き上げていった。同じようになっちゃんたち厚木の家族も引き上げていった。気乗りしないのに断りきれない優柔不断なボクは風呂場の前をウロウロしてから、隣の休憩場の長椅子に腰掛けて考える人になってしまった。それでも落ち着かないので、そばにある自動販売機でなっちゃんと同じ名前の缶ジュースを見つけてそれを一つ買い、再び腰を下ろした。「なっちゃんかぁ…」
『なっちゃん』を一口飲んでボクはため息をついた。
「どうしたんですか?」
そこに本物のなっちゃんが現れたから慌てた。いかにも陰気な面構えでかがみ込んでいるボクを気遣うような顔色で、なっちゃんはそこに立っていた。
「あっ、いや、お父さんたちは?」
さっきの独り言を聞かれやしなかったか? ボクはお茶を濁すようになっちゃんに質問を返した。
「なんか、お父さんはお風呂行くってはりきってるけど、ほかの人たちは行かないっていうからどうしようかと思って…あっ、それ…」
ボクの手元にあった『なっちゃん』に気づいてなっちゃんは指さした。
「あっ、ああ…飲む?」
アイドルのグラビアをめくっていたら実物が隣に立っていたかのような決まり悪さを感じながら、ボクはぎこちない笑顔でなっちゃんに言った。
「あ、いただきます!」
なっちゃんはさりげない笑顔で答えた。『なっちゃん』をもう一つ買ってそれをなっちゃんに手渡すと、ボクらは並んで腰を下ろした。
「ハァ!! 冷たくておいしいですね!」
『なっちゃん』を両手で一口飲んでなっちゃんは会心の笑顔で言った。なっちゃんとの距離と会話をもてあましそうになっていたボクは、その笑顔に勇気づけられた。
「お父さん、楽しい人だね」と、ボクが言うと、
「ええ。でもぉ…恥ずかしい…」と、なっちゃんは苦笑いした。ボクにはそれがなっちゃんのお父さんに対する愛情と親子の信頼関係に裏付けられているもののように見え、ほほえましくもありうらやましくもあった。もっとなっちゃんのことを知りたいと思った。
「大学生ですか?」
肌の色のことを問うてみるべきか否か、なぜあのお父さんにしてあのお母さんなのか、そもそもなっちゃんは本当にあの厚木のお父さんの娘なのか、などなど聞きたいことは山ほどあったが、それらを吟味している暇もなくなっちゃんのほうから機先を制するように尋ねてきたので、ボクはとりあえず「うん」と頷いた。するとなっちゃんは、
「いいなぁ。大学生かぁ…」とつぶやいて天井を仰いだ。そう言うからにはなっちゃんは高校生なのだろうか? 中学生なのだろうか? いったい何歳になるのだろう?
「私、今度高校生になるんですよぉ」
ボクの疑問を見透かしたかのようになっちゃんは言った。なるほどなっちゃんの大きな瞳は希望に満ちあふれて輝き、まさに「今が一番楽しい時」であることを体現しているようだった。ボクはこのなっちゃんの瞳と今からちょうど十年前の自分の瞳を密かに対比させてみた。当時のボクの瞳は今ボクの目の前にあるなっちゃんの瞳のように希望に満ちあふれて輝いていただろうか…? しかし、最初からそれはわかっているのだが、次になっちゃんの口をついて出た言葉はそのような対比が全くナンセンスで、なっちゃんの瞳がボクの想像を遙に超えた次元で輝いていることを改めて知らしめた。
「私、アメリカの高校に行くんですけどぉ、」
今どき海外の高校に進学する女の子など特に珍しいわけではない。ましてやなっちゃんはラテン・ブラック系のハーフだ。
「あっそうそう、私のお母さん、見ればわかると思うんですけど、アラブ系アメリカ人なんですよ。ってゆーか、もともとはシリアだったかヨルダンだったかレバノンだったか、そこら辺にいたらしいんですけど…まぁ、だからとにかく私も日本人のお父さんとのハーフってわけで、」
そう言ってなっちゃんはボクが一番知りたかった自らの素性をあっけらかんと喋り始めた。
なっちゃんのお母さんは予想どおり後妻で(お兄さんはやはり先妻との息子らしい)、先妻と死別した後、当時大手商社に勤務していたお父さんが赴任先のニューヨークで知り合って結婚したという。その後お父さんが日本に転勤になったので、お母さんも思いきって一緒に移住し、そしてなっちゃんを産んだという。現在はお父さんの故郷である厚木で家族五人で暮らしているが、このたび中学校を卒業したなっちゃんは、自らの希望で向こうの高校に進学するため、とりあえずなっちゃんのお母さんの親族を頼って来月早々にはニューヨークへ単身移住するという。
「私、海外旅行、てゆーか旅行じゃないですけど、初めてなんで、超緊張しますよ!!」
なっちゃんがラテン系ではなくアラブ系でだったことにボクは少なからぬ驚きを覚えると同時に、なっちゃんのお母さんがどういう経緯で世界の悲しみと憎しみの集約であるかの地から世界の富と権力の集約である超大国に移住してその国籍を取得するに至ったのか大いに疑問に思った。しかし、その辺の詳しい事情についてはなっちゃんは一言もしゃべらなかったし、ボクの方から根ほり葉ほり聞くわけにもいかなかったのでうやむやのままだったが、とにかくそう言って無邪気な笑顔を見せるなっちゃんがなぜかとても恨めしかった。 "まっ、オレには関係ない話さ…"と、ボクはお決まりのニヒリズム的態度を密かにとってみたものの、「ニューヨークかぁ…」と、気づいたら呟いていた。
ニューヨーク─そこはここ寸又峡と最も対照的な場所のように思えた。そこは時代や時勢に背を向けようとしているボクの精神的態度から最も遠くにある所のように思えた。そして、たとえアラブ系アメリカ人とのハーフであろうと、また、その素性柄、今現在イラクで行われていることに対してのなっちゃんの一筋縄ではいかない心境を想像してみようとも、なっちゃんの口からそのような台詞が次々と飛び出してきたのはやはり意外というかボクにとってとても心外で、つまり、髪形の話が出たときと同じように、たとえその容姿と素性がどうであれ、無理矢理にでも自分の手の届きそうな、想像の及ぶ範囲でなっちゃんという人格を理解しようとしていたボクのエゴイスティックな思考と感情が完膚無きまでに叩きのめされたようで、ボクは内心自分自身に冷笑した。しかしそうであろうとも、なっちゃんはここ寸又峡の深山という民宿でオレとともに一夜を過ごしていることに変わりはなく、なっちゃんは紛れもなく日本人の女の子で、今オレの隣に座ってオレに微笑んでいるのだ!!! などと内心声高に叫んでみても、それはもはやむなしい強がりあるいは独りよがりにすぎず、ボクがどう考えようと感じようと明日になればなっちゃんは厚木に戻って数週間後には渡米してしまう。将来は誰かみたいにコロンビア大学にでも入学して卒業後はアーティストかミュージシャンにでもなって世界を股に掛けて活躍し、積極的に「反戦・平和」のメッセージを全世界に配信するような立派な女性になっていくのだろうか…いずれにせよ、なっちゃんは好む好まざるに関わらず、時代や時勢というものに積極的に関わっていく存在であり、時代や時勢に対するおびえを「ニヒリズム」だとか「無言の抵抗」だとか言って周囲に背を向けて煙草を吹かすことしかできないような輩とは毛並みが違う、今夜は一つ屋根の下にいるけれど、広島県の片田舎の堅苦しい家系に生まれ育って「カタワ」だとか「憂鬱」だとか言って右往左往しているボクとはそもそも住む世界が違う、とにかく、アラブ系であること(ボクのようなモラトリアムな日本人には想像も及ばない長大な民族的喜怒哀楽がそのバックボーンにあるということ)、ニューヨークに移住して進学すること、そしてその素性や将来がどうであれ、今ボクの目の前にあるような全く屈託のない瞳と笑顔を見せることができるなっちゃんにボクは嫉妬以上の劣等感を抱かずにはいられなかった。(荒井注ら藤枝軍団の無骨さをボクは内心鼻にかけているけれど、所詮はボクもそちら側の人間なのだ!!)
「いいね、ニューヨーク」
ボクは『なっちゃん』を一口飲んで言った。我ながら愚かな台詞だと思った。するとなっちゃんは、
「でもぉ、ホントはあまり行きたくないんですよねぇ…」と、少しトーンの違う声色と顔色で言った。
「こっちの友達と離ればなれになるのイヤですし…それに私、英語全然しゃべれないんですよねぇ…どうしよっ?!」
そう言って照れ笑いするなっちゃんに、ボクは正直違和感を覚えたが、同時にどことなく滑稽な感じがしてそれがまた自分自身に対する違和感となり、できればこの場からオサラバしたい心境になった。
「ってゆーか、私、こっちに好きな人がいるんですよぉ! だから…」
なっちゃんはこれまでにない恥じらい方で言った。ボクはまた激しい嫉妬心を覚えるのか…?! なっちゃんの次の台詞とそれに対する自分のリアクションに戦々恐々しながら、「好きな人ってどんな人?」とボクは尋ねた。するとなっちゃんは、
「私が通ってた中学校の近くのコンビニでアルバイトをしてる人なんですけどぉ、一度もしゃべったことはないですけどもう、超カッコイイですよぉ!!」と、火照った頬を両手で押さえながら答えた。
なんだか今までの自分がバカらしく思えてきた。なんだかんだ言ってもまだガキじゃないか!!(なんなかんだ言っているのはなっちゃんではなくボクのほうだが)何かとオソレオオイと思っていたけど(その容姿と素性と将来に勝手にビビっていただけだが)、一度もしゃべったことのない男性をつかまえて「好きな人」と第三者のオレに言い切ってしまうほどにガキじゃないか!! そういう意味ではそこら辺の小娘たちと大差ないじゃないか?! "そんな手前勝手な思い込みや思い過ごしでいちいち一喜一憂するオレのほうががよっぽどガキじゃないか?!"という自己批判はひとまず置いておき、ボクは心に清水というほどのことでもないちょっとした愉快さを感じて内心吹き出してしまった(それにしてもこの思考と感情の起伏の激しさには我ながらつくづく呆れる思いだ。それほど一つ一つが軽薄で浅薄なものなのだろうか…?)。思わずニヤケ顔になりそうなのを急いで矯正し、ボクはごく自然ないたずらっぽさで、「告白しちゃえばいいのに?」となっちゃんに言った。
「無理ですよぉ! だってまだ一度もしゃべったことないんですよぉ。あー、どうしよう?! たぶん無理だろうなぁ…」
そこら辺の小娘と大差ないとは言ったが、決してアラブ系アメリカ人とのハーフだからというわけではなく、なっちゃんにはそこら辺の小娘たちとは明らかに違う魅力があるように思えた(そこら辺の小娘とまともにつきあったことは全くないけど)。それが何か具体的には難しいが、とりあえず、今ここになっちゃんのその瞳と笑顔があれば、それ以上の想像と詮索は全くナンセンスだと思った。そして僅かではあるが、ボクのネガティブでエゴイスティックな思考と感情および感覚がなっちゃんとの会話の中で浄化されていくのを感じた。ボクはふと思った。ここへ来る前、千頭のガソリンスタンドでおばさんの心づくしから受けた感動もまさにこれではなかったか?! ひょっとしたらカタワ根性を克服するきっかけはこういうところにあるのではないか?! 
「なんやオマエら二人して?!」
「悪いわね、お取り込み中」
荒井注ら藤枝軍団が現れてさっそくボクとなっちゃんを冷やかした。熟女に続いてなっちゃんのお父さんが現れたのでボクは多少気をつかって立ち上がってみたが、二人とも特に怪訝そうな色を見せることなく朗らかに微笑んだのでホッとした。ただ熟女については、そのやけに余裕ありげな微笑みが、先刻の広間での意味深な態度と比べるとかえって不気味に感じたが、この際彼女に対しても余計な想像と詮索をするのはよそう!! とボクは開き直った。
「お二人さん、おじさんたちは先に着替えているからすぐに入っておいでよっ!」
平松政次がそう言い残して藤枝軍団は続々と脱衣室に入っていった。
「なっちゃん、お父さんと一緒に入ろうよぉ!」
お父さんがまるで酔っぱらいのように(実際に酔っぱらいだが)なっちゃんにからみつこうとした。なっちゃんはまるで子ウサギのようにお父さんをかわした。なっちゃんのお父さんは本物の酔っぱらいのようにはしつこくなかった。

脱衣場の扉の前でボクとなっちゃんは立ち往生してしまった。二人とも怖いもの見たさと恥ずかしさが入り交じったようにお互いに顔を見合わせた。
「どうする?」
「いやぁ、私はぁ…」
「入らないの?」
「だって恥ずかしいですよぉ!!」
なっちゃんは思いっきり照れ笑いをした。なっちゃんのその笑顔を見てボクは何かが吹っ切れた。なっちゃんが入らないのは残念だったが(なっちゃんのお母さんが来なかったのもかなり残念)、正直言って安心した。扉の向こうから年甲斐もなくはしゃぎながら浴衣を脱いでいる中年男女たちの声が聞こえてきた。
「入ってみるよ」
「ええっ? ホントですかぁ?」
なっちゃんは大きな瞳を最大に見開いて驚いた。ボクはちょっと大人ぶった笑顔でなっちゃんにうなずいた。熟女の裸が見てみたいという下心からではなく(それも少しは、いや、大いにあったが)、それは旅のそもそもの動機からだった。熟女や荒井注と一緒にお風呂に入ることでカタワ根性を克服するきっかけをつかむことができるかもしれないと思ったわけではないが、非常識的刺激と非日常的興奮を味わえるかもしれないという期待感、というより"ええい、もう、入っちゃえ!!"という「旅の恥はかき捨て」的なノリだった。ボクはもう一度なっちゃんに笑顔を送り、おそるおそる脱衣場の扉を開けた。幸いすでに誰もいなかった。そして奇妙なことに浴場の電気が消えていた。真っ暗なガラス戸の向こうから中年男女八人の話し声が反響するように聞こえてくる。これはいったいどういうことなんだろう? ボクは少し離れたところからおそるおそる眺めているなっちゃんを手招きして呼び寄せ、風呂場の有様を見せた。
「なんで電気消えてるんですか?」
なっちゃんとボクは顔を見合わせて首をひねった。
「中あけてみようか?」
ボクがそう言うとなっちゃんは再び照れ笑いしてもといた所に戻った。なんだかうれしくなったボクは、さらにおそるおそるガラス戸を開けて浴場の中をのぞいた。脱衣場の薄明かりが少しだけ鮮明になり、和気あいあいと入浴する荒井注やなっちゃんのお父さんの姿が目に入ってきた。浴場は一見して明らかにボクとなっちゃんのお父さんとお兄さんが一緒に入ったものよりも広く、湯船も一回り以上大きくて八人全員が余裕を持って入浴できるようだった。
「なんだお兄ちゃん、覗いてないで入って来んかい!」
ガラス戸に一番近い位置で湯船に浸かっていた荒井注がボクに気づいて言った。
「なんで電気消してるんですか?」とボクが尋ねると、「なんとなく」と答える。なんだかんだ言ってもやっぱり恥ずかしいのか? と勘ぐりながらも、ボクはさりげなく熟女を探した。視線を左右する一瞬に重信房子や入江たかこの裸体が視界に入って視線がブレた。そして湯船の一番奥の方で平松政次と並んで湯に浸かっている熟女の姿をボクの視線がとらえた。ちょうど脱衣場から漏れる薄明かりの陰になっていたので、彼女の姿形、その輪郭をはっきり認識できたわけではなかったが、それでも彼女の裸体を目の当たりにしたということには変わりない。ボクの視線に気づいた熟女は少し照れながら微笑んだ。
「おっ、お兄ちゃん、入ってくるかねっ?」
熟女の隣で平松政次が言った。ボクも少し照れながら微笑んだ。彼女の微笑みは特別なものではなく、なぜか純粋な微笑みのように見えた。
「あなた、入ってきなさいよ!」
どこかで重信房子の声がした。ボクの微笑みも特別なものではなく、純粋な微笑みだった。不思議だった。ついさっきまで広間で浴衣姿の熟女の仕草・視線・発言にあらぬ想像と詮索を催し、興奮し困惑し動揺し狼狽していたのに、今こうして彼女の紛れもない一糸まとわぬ姿を目の当たりにすると、なぜか彼女の瞳が純粋に見え、何一つ想像と詮索することなく、下半身もほとんど反応しなかった。
「こっちの電気も消していいですか?」
ボクは荒井注に尋ねた。ボクは今までにないいたずらな気分になっていた。荒井注ほかの裸をはっきり見ることは視覚衛生上はばかられるので、ここはあえて全部電気を消して完全に真っ暗にして入りたいと思った(どこかで覚えのある感覚だ)。なんだかんだ文句を言う荒井注や重信房子をあえて無視してボクは脱衣場の電気を消した。中年男女八人の寂れた歓声が一斉にこだまし、風呂場は真っ暗になった。
「オイオイ、これじゃ何も見えんでぇ!」
「いやーぁ、全く真っ暗ですなぁ…」
「まっ、たまにはこういうのもなかなか味があっていいんじゃないかねっ。それにこれだとお互いにくたびれた体をさらさなくても済むからねっ」
「あらぁ、でも私、お兄さんの若い体はちゃんと見たいわぁ」
「そのうち目が慣れるわよ」
など言う彼らの会話を片耳に、ボクは一つ一つ服を脱いでいった。
 民宿の宿泊客が一期一会で老若男女入り乱れて一つのお風呂に入るという常軌を逸した企画は、予想通り想像を絶する体験だった。暗がりに目が慣れるにつれてボクを囲んだ中年男女のむき出しの輪郭が次第にはっきりしていくのが奇妙だったが、それでも不思議とおぞましさや、同じように自分のむき出しの輪郭もはっきりしていくことに対する恥ずかしさは全く感じなかった。そしてそれは、みんなでそれぞれの背中を流し合うと桁外れな企画を体験しても変わらなかった。ボクは荒井注と背中を流し合った。なっちゃんのお父さんと背中を流し合った。重信房子とも背中を流し合った。入江たか子とも背中を流し合った。そしてボクは熟女と背中を流し合った。女性の背中を流すのも女性に背中を流してもらうのももちろん初めてだった。直接手のひらで触れなくても、彼女の背中は年齢相応の柔らかさと硬さが入り交じっているように感じられた。暗がりに完全に慣れてしまったけれど、ボクは決して彼女を正面から見なかった。
「ハァ、気持ちいいわぁ…」
熟女がつぶやいた。女性に「気持ちいい」と本音で言ってもらったことは初めてだったけれど(別に本音じゃなくてもかまわないが)、ボクは素直に喜べた。ボクの背中を流す彼女の手つきはとても自然で心地よいものだった。時折彼女の指が直接ボクの背中に触れたが、特別な感覚はなかった。
 ボクら九人は輪になって一斉に湯船に浸かった。ボクの正面には熟女がいた。ボクらはみんなでおしゃべりをした。それは本当に他愛のない世間話だったけれども、なぜだかとても貴重な時間を過ごしているように思えた。いつの間にか入り口のガラス戸がわずかに開き、なっちゃんがおそるおそる顔を出していた。それを見つけて誰もが「入ってこい!」と誘ったが、なっちゃんはかたくなに遠慮した。かといってその場から逃げ出したりせず、半身になってボクらの会話を傍聴し、時々荒井注や重信房子に話を振られては恥じらいながら答えていた。ボクが真後ろを振り返ったのでなっちゃんと目が合った。するとなっちゃんは恥じらうどころか慌てて壁際に顔を隠した。そんななっちゃんをボクは素直にかわいいと思った。窓越しに差し込む月の明かりが真っ暗な風呂場をかすかに照らしていた。数年来絶えてなかった純粋に楽しい時だった。

(リアル)まっこい34
2004.11.12


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デザイン: おぬま ゆういち
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