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vol.12
−ソフトの話がない!−

 月刊文文(ぶんぶん)のこと

 というわけで、こんな体裁でエッセイ連載を始めてみることにした。あざらしを含めた三人の女性ライターはいずれも文才に恵まれた人たち。皆エンターテイメントのなんたるかをよくわかっているので、必ず面白い文章になるに違いない。あざらしがすでに他の二人について紹介しているが、それぞれ個性溢れるキャラクターの持ち主なのでぜひ期待してほしい。というか、私自身が一番楽しみにしているのだ。編集長の特権として、受け取った原稿を誰よりも早く読むことができる。それはナンバーワン読者として至福の時である。
 さて、文才のない私はテキトーに印象に残った出来事を書き散らしてお茶を濁すことにしよう。

 泥棒のこと

 なんと、去年の暮れにわが家に押し入った泥棒が捕まった! 泥棒が自分の家に入ったことにも驚いたが、その泥棒が見事に捕まったことにはもっと驚いた。泥棒って捕まるもんなんだ。すごいもんだ。
 1999年、暮れも押し迫ったわが茨城の実家。それは誰もいない日中の出来事だった。足跡から推測すると、数名の泥棒が裏の勝手口をバールのようなものでこじ開け、土足のまま家中を駆け巡り、引き出しという引き出しを全て漁って、わずか5〜10分ほどで現金少々と婚約指輪を風のように奪って逃走。その後、隣町や数十キロほど離れた町で同じような手口で泥棒に入られた家があるという情報が入ったもの、いずれも目撃者は無く、このまま泥棒たちは逃げきるのではないかとあきらめていた。
実況見分 あれから半年、突然栃木県の警察の方が来て、実況見聞を行いたいと言われた。栃木弁を感じさせる物腰の穏やかなおじさんは恐らく刑事なのだろう。なんと、捕まえた泥棒を連れてきているので、この家が実際に泥棒に入った家かどうか確かめたいというのだ。泥棒本人に直接会うことは「気持ちが悪いでしょうからやめたほうがいい」ということで、刑事さんと泥棒は車に乗ったまま遠巻きに家を眺めながらあれこれ話をしていた。あざらしは脅えて家の中に隠れていたが、私は興味津々だったので家の中からカメラで写真にとってしまった。距離が離れていたので顔ははっきりとはわからないが、どうやら外国人のようだ。その後の刑事さんの話によれば、犯人は中国人3人と日本人1人で、一人が見張り役となって他三人が家の中に押し入ったということだ。もちろん、盗んだ現金や指輪はすでに闇のルートで裁かれているらしく、戻ってくる可能性はゼロに近いという。なんとも悔しいが、せめて犯人が捕まったことをよしとするしかないのか。やつらは関東一円で百件ほど盗みを重ねた大盗人集団らしい。

 父のこと

 早いもので父が死んでからまる一年が経ってしまった。
 去年、命日である七月五日の前日を思い出す。当時の父はもはや自力で起き上がることもできず、移動するときは担架を用いていた。父はすでになんの治療もせずにただモルヒネで痛みを抑えるだけであった。普段は病室のベッドで熱や痛みを監視しながら過ごし、調子の良いときを見はからって2〜3泊の外泊をするという生活を繰り返していた。
 その日、予定通りの外泊を終えて家を出る際に私と弟は動けぬ父を担架で庭の見える縁側に運んだ。私が「どうだ、久しぶりに庭を見ただろう」とまるで手柄を認めてほしいかのように陽気に話しかけると、父は「早く良くなって眺めたいな」とただ当たり前のことを言って私の浮かれた気持ちに冷や水を浴びせかけた。よく闘病をネタにした本やテレビ番組などで、死の淵に立った患者が家族に今までありがとうなどと感動的な台詞を言うシーンを見かけるが、私の父の場合はもっと現実的なことしか言わなかった。「退院できるかな」「痛みがとれるかな」「本当によくなるのか?」。そういう父の何気ない言葉を聞かされても、私は曖昧な受け答えしかできないでいた。
 そんなころ、私の頭の中にはある一つの疑問が住み着いて離れなかった。なぜ父は死んで私は死なないのか? なんというか……それは今まさに現実として当たり前のことなのだが、ではそれがなぜそうなったのかという疑問に対する答えはすぐには出そうもなかった。行き場を失った私の頭は、いつの間にか同じ問いを反復することが癖になっていた。
 父は死ぬ、私は死なない。
 父は死ぬ、私は死なない。
 父は死ぬ、私は死なない。
繰り返しても一向に答えにはたどりつかないので、単語を並べ替えてみたりする。
 私は死ぬ、父は死なない。
こういう場合もありうるだろう。といって、それがどうしたというのだ?
 母は死ぬ、父は死なない。
 私は死ぬ、母は死なない。
 母は死ぬ、私は死なない。
 妻は死ぬ、私は死なない。
 私は死ぬ、妹は死なない。
 突然、庭の木にとまっていた油蝉が鳴いた。蝉の声を聞くのはその季節初めてのことだった。私が「夏が来た」と父に話しかけると、父はなにも答えず初夏の日差しを眩しそうに眺めているだけだった。しばらくの間、私と弟は黙って父のそばに座っていたが、父がこれ以上庭を見てもしょうがないという様子だったので、そのまま車に乗せて病院へ向かった。そうして、それきり父は二度と家に戻ることはなかった。
 一周忌法要には親類や近所の人などを五十人ほど招待し、父の墓に線香をあげてもらった。梅雨の時期でもあって前日まで愚図ついた天気だったが、この日はうって変わってカラリと晴れた。去年の葬式のときもその時だけ晴れていたことを思い出し「父が晴れさせた」ということで私と母の意見は一致した。食事を終えて解散し、庭の草むしりをしていると、今年はじめて油蝉が鳴いた。

おぬま ゆういち (2000.7.8 岩間にて)

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