真っ黒い暗闇には、白い、刃、だけが映っていた。
俺ははそれを買う事にした。
初めて手にした時はインターネットの画面から日本刀がみるみる内に突き出てきて、俺の手に握られた感じがした。
鞘から刀を抜き、振ってみた。
かっこいいと思った。
もう一回、振ってみた、すると刃は手にする柄の部分から抜け、白く細い核ミサイルの様に飛んでいき、ベットの手擦りに当たって跳ね返って、俺の足に向かって飛んできた。
俺は両手と片足を上げたアホなポーズでそれをよけた。
刃は俺の踵の辺りを切った。
血が出た。
血を見て、俺は怒りと恥ずかしさで顔が真っ赤になり、俯き、立ち尽くした。
床に落ちている刃は白く光っていた。
美しいと思った。
手にしようと思ったが、柄の部分がないので、どう手にするか迷った。指と指で挟んで持ち上げると滑りそうだし、だが、美しかったので、触ってみようと思い、しゃがみ込んだ。
しゃがみ込んだ時、刃に切られた踵がズキンとした。
俺は痛みで顔を歪めたが、刃を見て、美しい、と再び思い、今の痛みは、こいつからの、返答だ、と思った。
刃は喋ってる様だった。
こいつ、なんて言ってすみません、とも思ったりした。
柄がない方が美しいとさえ思った。
俺は触れた。
イク、気分だった。
愛撫されたのだ。刃に。
刃は、刀を飾る様に置く道具の上に、刃のまま、飾られていた。
最初、刀を飾る様に置く道具なんかいらない。そこら辺に無造作に立てかけておいた方がカッコいい。と思ったが、大きな間違いだった。
刀は生きている。
家が必要なのだ。
そう思って、踵を切られたすぐあと、俺はインターネットに向かい、刀を飾る様に置く道具を注文した。その間もずっと踵からは血が出ていたが、気にしなかった。
俺は迷った。
新しい刀を、つまり、柄から刃が抜けたりしない、いい刀を、買うかどうか迷った。
刃は俺の背中を見つめている。
新しい刀を買うなんて、俺の背後に、いる、もしくは、いらっしゃる、刃に、失礼な気がした。でも、そのサイトは銃刀法違反していたし、そのサイトが閉じられたら、またいつ買えるか分からないし、やっぱり新しい刀を買おうと決めた。
刃は俺を見つめてる。
高めの棚の上にいる、もしくは、いらっしゃる、刃に見つめられながら、俺は新しい刀で素振りをしていた。
また抜けた刃に襲われない様に、今度は布団を天井の高さまで積み上げて、物臭な俺がこんな困難な作業をするなんて奇跡に近いが、布団を天井の高さまで積み上げて、それに向かって、素振りをしていた。剣道でいう、面、の素振りだ。
だが、面白くない。恰好がついてないからだ。
刃は黙って俺を見つめている。
俺は恥ずかしくなって、俯き、立ち尽くした。
刃は俺を見つめている。
俺は剣道部に入る事にした。
剣道部に入りたい、と言ったら、俺の母親はびっくりしてた。
それというの俺はひきこもりと呼ばれていたので、だからという訳ではないが、無口なので、今も無口だが。心の中以外は。とにかく俺は学校には通ってなかった。
ちなみに、どうしてひきこもりと呼ばれる様になったかというと、外では嘔吐物の雨が降っていて、俺の足には泥沼の足枷が嵌められているからだ。
とにもかくにも、ひきこもりという名の中卒で高校中退者だった俺は、剣道部ではなく、町の剣道道場に行く事になった。
金は俺の母親が出してくれた。俺の母親。重い響きだ。金なんか出させちゃって申し訳ないと思った。
だが、俺は剣道をちょっとやってみたいと思っていたし、一生やりたいとは思ってなかった。だが、必要なのだ。剣道が。剣の為に。刃の為に。
俺の母親も俺が外に出る事は良い事だと思ったらしく、賛成してくれた。有り難い事だ。
そんな思いを振り払うかの様に、俺は一心不乱に素振りをしていた。
思いを切る様に。
時々、刃が俺を見つめている気がした。そういう時はいい素振りが出来た時だ。
光るのだ。俺が切った瞬間、空間の奥の方が、光る。俺はその光を見つめながら、といっても時々しか光らなかったから、時々しか見る事は出来なかったが、その光を見つめ、切った、光を、思いを、切る様に。切った。振った。切った。素振りをした。切った。一心不乱に。切った。
だが、教師はうるさかった。声を出せというのだ。この俺に、声を。
失礼な話だと思い、俺は拒否した。それと言うのも、俺はただ、面や胴や小手や突き、などの構えというか、振りというか、つまり、俺が持っている刀、もしくは刃に失礼にならない程度の、ハッキリ言ってしまえば、カッコ良さ、を身につけたくてここにきたのであって、声の出し方を習いに来たのではない。と言ってやれば良かったのだが、ひきこもりの俺は、黙って、教師を見つめた。
教師は俺を、正確に言うと、ひきこもりの俺を見つめたあと、まあその内、声を出す事の大切さに気付くだろう。という感じで、一人で納得して、頷きながら、去っていった。
馬鹿め。俺は声は出さない。第一、俺は刀を振りたいのだ。つまり家で。自分の部屋で。好きな時間に。夜中にひきこもりの俺が、めーんとか奇声を上げたら、俺の母親は俺が狂ったと思って、救急車を呼びかねない。馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め、と素振りをしていたら、剣が濁った。重く、泥の様になった。空気も、剣も。
俺は、俯き、立ち尽くした。
素振りをやめた俺を見た教師は、何か言いたげだったが、俺が虚弱なので、精神的にもオカしいので、勝手に素振りをやめたのだ、と思ったらしく、ほっといてくれた。
最初俺は、その教師のせいにしていたが、違う。俺の剣が濁ったのは、自分のせいだ。と気付き、精神統一しようと思い、道場の端に座り、剣を置き、いや、剣ではなく、竹刀を置き、胡座をかき、目を瞑った。
教師の視線と、他の生徒達の視線を感じたが、ほっといた。少し照れ臭かったが、ほっといた。
だが、どうしても恥ずかしくなってしまい、精神統一出来なくなってきて、しかもどんどん恥ずかしくなってきて、赤面してしまい、大汗をかき、やがて、耐えられなくなり、俺は逃げる様に、道場を出た。
俺の背中で生徒達が笑っている様だった。教師も笑っていたに違いない。こんな風だからイジメられてひきこもるのだ。という声もした。自分の中で。
俺は道場の外の庭に立ち尽くした。庭といっても国道から丸見えの庭だったので、現代風の車が走っていく中、俺は古風な胴着を着ていたので、場違いだった。俺は外に出ても恥ずかしかった。
明日からは、普通の服で素振りをやろう。と心に誓い、家に帰る事にした。
もう剣が濁ってしまったので、今日は駄目です、素振りをすればする程、濁るだけです。と言ってやれば良かったのだが、ひきこもりの俺は、黙って、教師を見つめた。
教師は俺を、馬鹿にした様に見つめただけで、帰りたいなら帰りなさい、と言ってくれた。
俺は剣道の道具を手にして、帰った。
竹刀以外の道具は、全てドブ川に投げ込み、捨てた。
面、だけは習ったので、その夜、練習してみた。
夜明けまで素振りをしていたので、その日、俺は眠かった。
教師は遂にキレ、俺に正座させ、お説教を始めた。俺が私服で、眠そうに、素振りをしていたからだ。
俺は黙って、目を瞑り、刃を、刃だけを、心に思い浮かべていた。
一回目の授業の時もそうだった。教師が、心構えが大事です。みたいなお説教を、生徒達に始めたので、俺はどうしても聞きたくなかったので、目を瞑り、刃を、刃だけを、心に思い浮かべていた。
漆黒の暗闇の中、刃は、柄のないまま、白く、光っていた。
俺は完全に眠っていたが、ただ、ただ、白く、光っていた。
漆黒の暗闇の中、柄のない、真っ白い、刃。
結局俺は、私服で素振りをする事を許された。
教師には考えがあったのだ。その考えは最初何だか分からなかったが、私服で素振りしている時に気付いた。
私服で素振りをしている俺を、他の生徒達は皆、嫌そうな目つきで見つめていたのだが、その中に三人程、教師の手下がいたのだ。
俺は一目で分かった。どこにでもいるのだ、教師の手下は。教師の手下、その名は、イジメッ子。
奴らは教師の作り出した、例えば、偏差値世界、などを守る為に、俺の様な、外れた奴を、イジメる。時と場合によっては、殺す。教師の手下、それはイジメッ子。
衝撃が走った。俺の頭に。竹刀で叩かれたのだ。俺の登頭部が。背後から。卑怯な奴だ。
振り向くと、皆、真面目に素振りをしている。
始まったか。と俺は思ったが、俺は涙目のまま、素振りをした。単に痛くて涙目になったのだ。感情ではない。そんなもの俺にはない。
また叩かれた。痛みのショックで小便が少し漏れた。
振り向くと、皆、真面目に素振りをしている。
俺は考えた、が、後ろからまた叩かれた。
考える隙もない、頭はジンジンしている。
叩かれた。笑い声が上がった。
俺は目を瞑り、そして、剣を、構えた。
一瞬、静まった。
また叩かれた。
気にするな。自分のタイミングでやればいい。
叩かれた。笑い声。
刃だ。刃を心に思い浮かべろ。
叩かれた。笑い声。
俺は、突き、をやろうとしていた。叩かれた。笑い声。自分のタイミングで突くのだ。誰でもいい、目を瞑ったまま、突くのだ。叩かれた。笑い声。耳を澄まし、突くのだ。目の前にいた奴を。叩かれた。笑い声。喉元か、目だ。はっきり漆黒の暗闇に真っ白い刃が鮮明に浮かび、鋭く踏み込み、突いた。
悲鳴が上がった。
目を開けると、俺の足元で、女の子が、喉を押さえながら、血を吐きながら、のたうち回っていた。
立ち尽くしている俺を取り押さえる奴がいた。女の子を救急車に。なんて言ってる奴がいた。大騒ぎだ。
教師は俺に張り手した。俺は鼻血を垂れ流しながらも、さっき見た、恐ろしい程、鮮明にくっきり浮かんだ、白い刃を、思い出していた。
それに、突きをした時の、あの、鋭い踏み込み。あんな事が俺に出来るとは思えない。でも、出来た。出来てしまった。
少し、恐くなった。
女の子は病院に運ばれていった。救急車のサイレンの音を聞きながら、俺は、のたうち回った女の子と、自分の鋭い踏み込みに、思いを寄せていた。
そして、あの、鋭い刃を、もう一度、見たいと思った。
俺の母親は泣いていた。せめて目でなかったのが幸いだと俺は思った。目だったら。失明してたら。切腹しても許されない。
竹刀は取り上げられた。父親は出張でいなかった。一ヵ月位、海外にいる筈だ。だが帰って来てしまったら、大変、かも知れない。それと言うのも、俺の父親のキャラはよく分からない。怒ると殴るタイプだと思うが、普段は寡黙というか、クールだ。
俺が見た刃の美しさを、父親なら分かってくれる、様な気もするが、どうだろう。分からない。分かってくれる、と言うのは希望的観測かも知れない。
それにしても俺に突かれた女の子は入院してしまったので、今度ばかりは俺の父親は帰って来るかも知れない。困った。
結局父親は帰って来れなかったので、俺と俺の母親は、父親無しで病院の廊下で土下座した。
受け狙いで切腹すれば良かった、と思ったが、ナイフを持ってくるのを忘れていた。俺もそれなりに気が動転していたのだ。
そんな思いを振り払うかの様に、俺は高い戸棚の上に飾られている、刃様、に向かって、両手を合わせ、目を瞑り、両膝をつき、拝んでいた。
刃は、気にするな。これからだ。と慰めてくれた。
しかし慰めではなく、警告だったかも知れない。気にするな。本当の戦いは、これからだ。と。イジメッ子に呼び出された時、そう思った。
イジメッ子はつまり、警察の手下でもあるのだ。国家公務員みたいなものだ。給料も貰ってるのかも知れない、天下りもいるかも知れない。アホな奴らだ。と俺はイジメッ子の加藤と佐藤と鈴木を、黙って、見つめた。するとボコボコに殴られ、死ぬかも知れない、と思ってたら、殴ってると手が痛くなるので、木刀か何かで殴られ、小便とウンコを漏らし、素っ裸にさせられ、土下座させられ、更に殴られ、オナニーさせられ、人数には敵わないのだ。拳銃でもあれば別かも知れないが。更に殴られ、精液を舐めさせられ、更に殴られ、俺の家になだれ込んできて、一週間ばかり俺の部屋で、俺を殴りつつ、俺の戸棚の上にある刃で、俺の体のあっちこっちを切りつつ、俺にしゃぶらせ、俺のオカマを堀り、そうなのだ、イジメッ子というのは、ガキにしろOLにしろ、大概、性的欲求不満者なのだ。だが、人間は一年中発情期なので、性的欲求不満者じゃない奴は滅多にいない。ああ、そうなのだ。泣き声と笑い声の中、俺のチンコを切り、そのチンコが俺の口の中に押し込まれ、食わされ、という場面が走馬灯の様に浮かんだので、加藤と佐藤と鈴木に向かって、俺は声に出して言った。「剣道でやろう」
意味不明の発言だったので、加藤と佐藤と鈴木は一瞬黙り、あ?、何が?、ふざけんなよ、てめー、ヤッちまうぞ、いいから来いよ、と色々言ったが、結局、道場に連れて行かれる事になった。その日、道場は休みで、鍵は加藤が預かっていたからだ。それに、普通にボコるより、何か面白いボコリ方でも思いついたんだろう。三人はずっとニヤニヤしていた。グラビアアイドルの話なんかもしていた。
加藤はワザワザ胴着に着替え、剣を構えた。剣を構えた瞬間、加藤の顔はマジになった。加藤は有段者なのだ。
俺は私服で剣を構えていた。
加藤の顔がマジだ。
殺される、と思った。
迫力で踏み込んできた。もの凄い迫力に押され、俺は尻餅をつき、見上げた。
喉仏が見えた。
俺は片手を床についたまま、片手で剣を、竹刀、というより、その時、それは、剣だった、を、突き上げた。
加藤の両足は浮いた、喉仏に突き立てられた竹刀を支柱にして、浮いたまま、加藤のうなじから、竹刀の先が、突き出た。
もの凄い、血。
人間は袋で、その袋の中身は全部血だ。と思った。それと同時にもの凄いニュースになると思った。天井にまで飛び散った血を見上げながらそう思った。
血の海の中に、加藤はうつ伏せに倒れた。
加藤は白目を剥いていた。
加藤の喉仏からうなじまで、竹刀は貫通していた。
バケツで血を被った様な俺は、呆然と尻餅をついたまま、小便を漏らしながら、加藤を見つめていた。
佐藤と鈴木は俺がボコられる試合を見ようとして正座したまま、呆然としていたが、突然、女みたいな悲鳴と、雄叫びみたいな悲鳴を上げながら、立ち上がった。俺は襲われる、と思ったが、二人は逃げだし、血で足を滑らせ、転び、また呆然として、振り向き、俺を見て、子供みたいな悲鳴を上げながら、道場から出て行った。
俺は小便を漏らしながら、加藤の死体を見つめていた。
その時、俺は、口元に笑みを張りつけていたのかも知れない。
それと言うのも、佐藤と鈴木が大人達を引き連れて戻ってきた時、死体を見て、驚き、俺を見て、表情を凍らせたからだ。
俺は大笑いしたくなった。実際、大笑いしたかも知れなかった。
だが、やがて、俺は、目を瞑り、漆黒の中の、白い、刃、だけを見つめた。
パトカーサイレンがして、警官が警戒しながら俺に近づいて来た時も、警官に連れて行かれる時も、パトカーで護送されてる時も、警察署の廊下を歩いてる時も、母親の泣き声が聞こえてきた時も、俺はずっと、微笑みを浮かべたまま、目を瞑ったままだった。
漆黒の中、柄のない、白い、刃、は、その時、妙に暖かく感じられた。
目を開けたのは、父親の声がしたからだ。
二時間程、目を瞑り続けていたと思う。
父親は廊下で刑事か何かと何か話をしていた。
父親は、目を開けている俺の前に現れた。殴られる、と思ったが、気にするな、と言ってくれた。
そして俺は父親と抱擁し合った。
俺は泣いていいのか、笑っていいのか、分からなかった。もちろん、笑うのは、リアクションとして違う。と思ったが、人を殺した事に対するリアクションがとれないまま、なぜだか、今にして思うと滑稽だが、俺の方が父親を慰める様に、父親を抱擁していた。父親はクールに泣いていたと思う。大丈夫だ、とも言っていた。
しかし俺の父親は、俺が裁判にかけられている時、俺の部屋の戸棚の上に飾られている刃を処分する、と言いだした。
俺は泣きながら、刃だけは勘弁してくれ。刀は捨ててもいいが、刃だけは勘弁してくれ。と土下座して頼んだ。
いつになく俺が情熱的に感情を吐露したので、俺の父親は驚いた様子だった。そしてそれだけに、何が何でも処分しなくてはならない。と思ったらしく、何が何でも処分する。と言い張った。
俺は泣きじゃくりながら、お願いします、お願いします、お願いします、と床に頭を打ちつけまくった。
俺の頭は割れなかったが、脳への衝撃で、俺は臨死した。
俗にいう臨死体験で見る景色と、途中までは同じだった。お花畑があって、歩いていくと、三途の川が現れ、春の小川みたいな向こう側を見ると、そこには人が立っていて、俺を見つめていた。
そいつは侍だった。
そいつは俺を見つめながら、口元に大きな笑みを浮かべ、刀を鞘から、ゆっくり、抜いた。
俺がビビると、辺り一面が真っ赤な炎になり、俺が驚くと、そいつは刀を振り上げ、炎の川を一っ飛びしながら、声にはならない叫び声を上げながら、俺に向かって、襲いかかってきた。
目の前のそいつの顔を見ると、俺だった。
臨死体験から目を覚ますと、手術室みたいなところで、医者がペンライトで俺の瞳孔を調べていた。父親と母親も俺の顔を覗き込んでいた。
俺はさっき見た侍を回想して、あんな小汚い、下品な侍には、絶対なりたくないと思った。
そして、目を瞑り、漆黒の暗闇の中の、美しい、刃、だけを見つめた。
父親は有り難い事に、刃を捨てる事を断念してくれた。有り難う。本当に有り難うございます。と俺は心の底から感謝し、何度も何度も父親に、情熱的に感謝した。
その時、俺には専門的な治療が必要だ、と父親は感じたかも知れない。
刃は、漆黒の暗闇の中、俺に感謝している様だった。俺としては当然の事をしたまでだが。
俺は医療少年院というところに入る事になった。言わずと知れた、気違い殺人鬼精神病患者、が集まるところだ。
皆坊主にされていた。俺も坊主にされた。坊主にするのは精神上良くないんじゃないかと思ったが、俺は無口なので、黙っておいいた。剣道がやりたい、と思ったが、口には出さなかったし、剣道部は無かった。柔道はあったが、くだらなかった、が、俺は、これも修行だ、とか何とか自分をマインドコントロールしながら、体育の授業をしながら、今や儀式と化していた、瞑想をしていた。
暗黒の中、柄のない、白い、刃。
受け身をしている時も、必要以上に投げられ、イジメられてる時も、受け身がとれず、肩が抜けた時も、その肩の治療を受けている時も、俺は、ただ、ただ、見つめていた。
暗黒の中、柄のない、白い、刃。
カウンセラーには流石に喋った。喋らないと始まらないし、始まらないと終わらないからだ。剣道が好きだ、という様な事も喋ったと思う。だが、下ネタカウンセリングの時、グラビアアイドルでオナニーしてると嘘をついておいた。ホントは心に思い浮かべた刃の美しさでオナニーしていたのだが。しかし、グラビアアイドルで抜くにしろ、ビラビラアイドルで抜くにしろ、刃の美しさで抜くにしろ、オナニーはオナニーだ。それに正直に言ってみたところで、どうせ刃はペニスを象徴しているとか、父性への憧れだ。とか言って、刃を汚すに決まってる。
嘔吐物の雨も、泥沼の足枷も、刃を汚す事は出来ない。
刃は神だ。汚す事は出来ない。
せめて素振りをしたかった。せめて、と言うのはオカしい。元々、刀をカッコ良く振る為だけに、剣道部に入ったのに、素振り以外に何を俺は求めているんだろう?。少なくても試合ではない。馬鹿馬鹿しい。殺しだろうか?、違う、殺したのは確かに快感だったが、殺したのは快感だった?、殺しが快感?、俺は変態か?、いや、殺したのが加藤だったから快感だったのかも知れない、いや、そう言えば、人を殺す事には快感がある、でなきゃ、人は戦争なんか出来ない、と何かの本に書いてあった気がする、だとすると、人を殺すのは快感、というのは、普通の感覚なのだろうか?、それとも、人を殺すのは快感、と思える時とは、ただ単に、ストレスが溜まってる時だけなのだろうか?。分からない。でも、もう、殺しはしたくなかった。確かに、殺しは、快感、だった、が、違う。だって人を殺してみても、結局また刑務所に入るだけだし、刑務所行き覚悟で殺しをやるほど殺しに価値はないと思うし、完全犯罪を企ててまで殺しをやる程のモチベーションは俺にはないし、そこまで頑張って殺しをやるなんて、馬鹿馬鹿しい。殺しは、違う。美しくない様に思えた。もし、美しく切れるなら、別かも、知れない、が、実際は、血塗れになるし、小便も漏れるだろう。また、殺してみたい、とも思ってる様な気がする、が、違う。美しくない。俺は、ただ、あの光を、刃の光を、美しい、光を、見たいだけなのだ。加藤を殺した時は見えなかった、あの光。素振りをしていた時に見えていた、あの、光。時々見えていた、美しい、あの光。また、見たい。どうしても、あの、刃の、美しい、光を、また、見たい。
俺はどうしても素振りをしたくなったので、目や沈黙を使ったテレパシーではなく、声に出して、どうしても素振りがしたい。とカウンセラーに懇願した。
カウンセラーはどういう訳か、許可してくれた。俺を診察する為だと思うが、カウンセリングの時間の、五分か十分だけ、素振りをやらせてくれた。
俺は水を得た魚の様に、振りまくった。自由に振りまくった。とても楽しかった。天国だった。
カウンセラーも嬉々として素振りをしてる俺を微笑ましく見つめてる様だった。
実際は観察していただけだったとは思うが。
だが、一分もすると、俺を観察しているカウンセラーはいなくなった。実際はいたのだが、ある意味、いなくなった。
漆黒の暗闇の中、俺は、刀を、竹刀ではなく、刀を、振っていた。
切りまくっていると、時々、俺がいる漆黒の暗闇は、切れ、辺り一面、お花畑にもなったりもした。
俺はそれも楽しくて、漆黒の暗闇を、切り、お花畑を、切り、また漆黒の暗闇を、切り、そしてまたお花畑を、切り、と繰り返した。
俺は充実感を得ていた。
だが時々、刀は突然、柄のない刃になり、刃を掴んでいた俺の両手は、真っ二つに両断され、俺を驚かせた。
カウンセラーも驚いた様子だった。
だが、俺はそれでも、切断された両手で、つまり、両手だけで、刀無しで、切断されている両手から、血飛沫を吹き飛ばしつつ、素振りをした。
俺は驚いた。
手でも、手だけでも、切れた。暗闇やお花畑が。切れた。俺は嬉しくなり、切りまくった。すると、いつの間にか、刀が俺の手に持たれていて、俺はますます嬉しくなり、刀を、実際は竹刀だったが、刀を、喜々として、振りまくった。
時々、真っ赤な炎に包まれたが、望むところだ。俺に切れないものはない。
炎は生き物の様に、俺に襲いかかってきもした、が、切りがいもあった。
俺はいつの間にか、炎の波にサーフィンしながら、暗闇やお花畑や、上空に光る、小さな星々を、虫の様な星々を、火の粉の様な星々を、夜空に浮かぶ星々を、切って切って切りまくった。
カウンセラーは俺の剣術に驚嘆していた様だった。
ただ単に、俺の治療を諦めただけかも知れなかったが。
実際、俺の治療は出来ない。なぜなら全ての病気の原因は、生きているから。だ。つまり、病気の原因を無くすには、死ぬしかない。それなのに、治せるとか言ってる奴は、殺人者だ。
俺も殺人者か、と時々俺は落ち込んだが、そんな思いを切る様に、俺は素振りをしていた。
つまり、原因を取り除く事が出来なくても、その原因による、その症状を、和らげる事は出来る。
だが、その原因による、その症状を、和らげるには、俺の場合、剣、しかないのだ。なぜ、剣しかないのかというと、つまり、やっぱり、生きているから。だろう。
そして素振りが出来ない時、でも、目を瞑る事は出来る時、つまり、休憩時間などは、俺は座禅を組み、深々と瞑想をした。
漆黒の暗闇の中、刃は、もはや生き物の様に、鳥の様に、魚の様に、流星の様に、鋭く、早く、深く、飛び交っていた。俺の心の中で、活き活きと、鋭く、早く、深く、俺を切る様に、飛び交っていた。
そんな時、俺は恍惚とした微笑みを浮かべていたに違いない。
そんな俺を邪魔する奴もいた。
目を瞑って、恍惚としている俺の頭を、道場の時と同じ様に、叩いて、笑うのだ。
俺はシカトした。
ヤカンに入った熱湯を、頭の上からかけられた時も、自分でも驚きだが、シカトする事に成功してしまった。
俺は全身火傷のまま、座禅をしたまま、瞑想を続けた。
しかしそれが良くなかった。ホントに俺は気違い扱いされ、本格的な気違い病院に強制入院させられそうになった。
カウンラーが、この子は自閉症気味なので、集中力が有り過ぎるだけだ。と救ってくれた。
当然だ。だって、ただ、座禅をしている奴と、ただ、座禅をしている奴に、ただ、熱湯をかける奴。しかも、休憩中の座禅だ。それなのに、熱湯をかける奴。どっちが狂人だ?。
多分、どっちも狂人だろう。俺は退院したあとも座禅を続けたが、座禅をしている俺の口の中にタバスコを注入したり、ワサビチューブのワサビを俺の口の中に入れたり、座禅している俺の髪を、バリカンで逆モヒカンにしたり、と邪魔は続いたので、俺は人前での座禅をやめた。
なぜなら、口の中にタバスコやワサビを入れられても、ある意味、座禅は続ける事は出来たかも知れない、だが、小便やザーメンをかけられつつ、笑われつつ、座禅を続けたら、それは単なるショーだ。座禅ではない。
そんな訳で、俺は、休憩中、出来る限り、回りの人間の休憩の仕方を盗み見て、その人達と同じ、休憩の仕方をした。
そんな時、俺に友達が出来てしまった。出来てしまった、というのは、困ったからだ。なぜなら俺は、父親にも困ってるし、母親にも困ってるし、常に困っているのだ。だから、友達にも、困る。
だがなぜだか、そいつは俺を慕った。こういう奴がいるのだ。人にやたらに依存したがる奴が。
そいつの名前は勇二。
勇二と俺はよく似ていた。
イジメられているところもよく似ていた。
唯一の違いは、俺は刃を持っていたが、勇二は持っていなかった事ぐらいだろう。
勇二と俺は同い年だったが、勇二は俺より背が低く、なぜだか、俺の弟の様な気がした。
だが、俺は困っていたので、それに、心の中以外は無口なので、特に何も喋らなかった。
勇二はいつも俺を見ていた。
結局、回りの人間の真似をするという俺の嘘は、段々、巧くいかなくなってきた。
そういう嘘は、案外、すぐバレるものだ。
俺がワザとらしかったからかも知れない。結構マジに演技したのだが。
勇二はいつも俺を見ていた。
いつの間にか、俺は休憩中、再び、座禅をし、瞑想をする事になった。
それは、俺だけの望みではなく、回りの人間の望みでもある様だった。
勇二に聞いたのだが、熱湯伝説、みたいのがあったらしい。タバスコ伝説も。そんな訳で、俺は勇二に教えてやった。
いいか。座禅してる俺にザーメンかける奴だって、ある意味、俺より寒いと思われるリスクがある。つまり座禅してる俺に、数十人が順番に小便をひっかけ、それでも俺が座禅を続けてるので、ザーメン、ウンコ、ザーメン、ウンコ、とどんどんかけていき、どんどん盛り上がっていく訳だが、それでも俺が座禅を続けてると、その辺りから俺にちょっかいを出す事事態、寒くなってくる。つまり、あまりに寒いとからまれない。と思う。例えば、アホの坂田とミスタービーンと風間勘平を足してチョウチョ結びにしてダウン症にした様な白痴に、足を踏まれても、いまいちからみにくい筈だ。いいか、俺の頭は今、見ての通り、河童だ。座禅中にバリカンで刈られたから、逆モヒカン風の河童だ。寒いだろ?、この頭。あまりにも寒いだろ?。つまり、あまりにも寒い俺に絡むと、俺に絡むそいつまで寒くなるから、つまり、もちろん、時々は邪魔は入るだろうが、俺の座禅伝説は続くんだ。
勇二は熱心に頷いていた。
心の中以外で、こんなに喋ったのは、人生において最初で最後だった。
刃はそんな俺を見て笑っていたが、静けさの様なものも身につけていた。
俺も静かに瞑想した。小便とウンコとザーメン塗れの河童頭のままで。
カウンセリング室での、俺の素振りも、静けさの様なものが漂っていた。
カウンセラーは俺の滑稽な河童頭を見て、笑っていた様な気がするが、目を閉じると、真っ白だった。
目の前は、真っ白い、紙。
俺は集中に集中を重ねた。
五分か十分の間、一回か、二回、振るだけだ。
その分、鋭さは、増した様にも、思えた。
真っ白い、紙。
世界は紙だった。
俺は集中に集中を重ねて、切った。
白い、紙。
俺は静けさの中、見つめていた。
カウンセラーは笑っていた。
白い、
紙。
俺は犯されもした。
娑婆でのイジメッ子は教師の手下で、公務員の様なものだが、ここでのイジメッ子は、違う。皆、恋愛感情の様な、仲間意識を持っていて、一人になる、という事を異常に恐れていて、日本赤軍の様な、宗教団体の様な、真面目さがあった。愛、だろうか。かなり奇形の、愛。笑われるだろう。世間に。その事も皆、知っていて、皆、見捨てられていて、あがいている。実際、価値のない奴らだ。それなのに、あがいている。足を引っ張り合ってる。本当に価値のない奴らだ。諦めればいいのに、諦めずに、奇形の愛で、お互いの足を引っ張り合い、お互いをお互いで束縛し合ってる。全く、価値のない奴らだ。
そして、意味の意味、意味の意味は、理由や原因や価値ではない。意味の意味、つまり、愛、を、知ってしまった奴を、自分達と同じ場所に絶対的に引き戻す。その場所は地獄だ。
だが、その地獄は、何か暖かいものを、感じなくはなかった。ドロドロだったし、俺には少しこってりし過ぎていたが。
つまり、娑婆でのイジメは、異端者を、社会の為に、排除する様な、黙々とした、冷たさがあったが、ここでの、つまり、世間一般でいう、アウトローにおけるイジメは、社会の為ではなく、仲間意識による、地獄だったので、暖かいと言えば、暖かかった。
だが、所詮、地獄は地獄だ。熱苦しい。俺向きではない。熱苦しい。
俺は座禅をして瞑想しつつも、いつもそんな事を思っていた。つまり、
そんなに求めてどうする?。
俺が求めてるのは、
刃の、
光。
叩かれた。笑い声。
皆羨ましいんだろう。
回りの人間を嫉妬させる奴がイジメられる。それだけだ。
一人。
一人だ。
もっと一人になりたい・・。
恐怖で笑って俺の頭を叩く。
回りの人間を恐れさせる奴がイジメられる。それだけだ。
一人。
一人に、
刃の、
光。
勇二は結局自殺した。
死ぬのは勝手だ。
そう思った。
勝手過ぎる。とも思った。
悲しくはなかった。むしろ腹立たしかった。
どうして自殺したのかというと、イジメられてたとか色々あるだろうが、一言で言えば、生きてたから。だろう。
そんな時、俺が娑婆に出れる時が来た。来てしまった。
来てしまった。というのは、もう少し、考え事をしたかったからだ。
考える隙もない。
おもむろに頭を叩かれる様に、時は突然、現れる。
それにはついていけないが、ついていかなければいけない事になってる。ついていけない奴は、排除されるか、狂人か、ム所行き、あの世行き。
あの世もこの世も似た様なものだ、と俺は思うが、行った事はないので、良くは分からない。
臨死はした事はあるが、臨死はアクマでも臨死であって、死ではない。
死は、想像でしか、認識出来ない。
もしかしたら、この世も。
父も母も、俺が大人になった様に見えた様だった。
俺は微笑み、微笑んだのは間違いの様な気がしたが、会釈した。
二人が望んでいる様な会釈をした。
二人は俺に抱きついてくれた。
ヒーローの様な気分だったが、それだけの話だ。早く、早く、俺の、刃様に、会いたかった。
帰りの車の中、俺はフイに、留まる事に決めた。
現実的には、塀の外に出たのだが、俺は、留まろう、と決めた。
自分の中に、留まる。
刃の為に。
いてくれた。捨てられた可能性もあるのでは、と思い、移動中の車の中でも、恐くてずっと聞けなかったが、何気なく、俺の部屋に入った時、刃様は、俺の部屋の戸棚の上に、キチンと飾られていた。
部屋の中はそのままにしていたのよ。という母の言葉を横切る様に、俺は刃に向かって、拝んだ。
二人は緊張した。やっぱりこの子は狂ってる。そういう雰囲気だ。
俺は刃様に向かって暫く拝んでいたが、二人を見て、笑顔を浮かべ、本当にそう思っていたので、腹減った。と言った。
二人は安心した様に、笑った。
太陽に向かって毎朝、拝む奴だっている。でかいパンチパーマの大仏に向かって拝む奴だっている。
だが、刃だけは、美しい。決して汚してはいけない。俺の神。刃。
俺が殺しをやったあと、俺の家は引っ越していたので、そこは新しい町だった。だが、俺は俺だ。つまり、俺は、留まっている。刃の為に。
俺は居合斬り道場に通う事にした。
父と母は心配していたが、もうどうしょうもないという感じだった。
諦めて、捨てる、事が出来る、それが大人の様な気もする。そういう意味では、父と母は大人だ。
そして刃を捨てる事が出来ない俺は、子供なんだろう。
命を捨てた勇二は、大人なのか、子供なのか・・。
俺は、刃以外は、全て捨てる事が出来る。そう思った。
ちなみに、居合斬り道場に入門するのはかなり難しいのだが、どういう訳かあっさり入門出来た。
師匠がホモだったからだ。
どこにでも嘔吐物の雨は降っていて、泥沼の足枷は嵌められているのだ。
素っ裸の俺を見つめている様に、師匠は俺を見つめていた。
俺は刀を構えていた。ちゃんと居合斬り道場の制服も着ていた。
生徒達も俺を見ていた。
目を閉じると真っ白だった。
本物の、刀。
切腹の様な、殺気。
やはり居合は俺向きだと思った。
切った。
血飛沫。
はっきり見えた。血飛沫が。真っ白い紙の中。
目を開けると、藁人形の様な的が真っ二つになっていた。
師匠は色んな意味で嬉しそうに俺を見つめていた。
俺は一人で練習していた。
とても広い庭で。シャドーだ。
特別待遇だ。
師匠好みの褌一丁だからだ。
師匠が遠く離れた俺の背後で、俺のケツをジッと見つめているの分かる。
なぜ分かるのだろう?。不思議だ。
俺は空気相手に目を瞑っていた。
切った。斜め下から斜め上に。
そして返す刀で水平に、そして両手で斜め上から斜め下に。
師匠が俺を見つめているのは分かっていたが、気にならなかった。
俺は空気相手に目を瞑っていた。
俺は目を開け、師匠が用意してくれた藁人形の様な的を見た。
汚れている、と思ったが、切った。
切り口には花が咲いた様だった。
また切った。
切り口は漆黒の暗闇。
切った。俺の背後にいる師匠が近づいてきた。切った。
驚いた事が起こった。
俺は峰で切っていた。
師匠もそれに気付き、立ち尽くした。
俺は今の太刀を回想した。俺は近づいてくる師匠に苛立ち、刀を返さずに、切った。峰で。
峰では切れない筈だ。だが、切れた。
目を閉じると真っ白だった。刃が俺を見つめている。
もう一回やってみようと思った。そうだ。挑戦するのではない。ただ、やるのだ。まず、空気で。
俺は斜め下から切上げ、少し考え、水平横面で刀を返さずに、峰で振った。
空気とはいえ、切れた感じがしない。
力を入れ過ぎた。
片手でやった。
指揮者が指揮棒を振っている様だった。
峰と思ってはいけない。
俺は的を切った。
三角に振った。
藁人形の様な的は、胴体、左腕、肩から脇腹、と切れた。
最初の一切り以外は、峰斬りだった。
驚嘆していた師匠が、近づいてきた。切った。
切断された藁人形の上の空気を切った。
だが、師匠は立ち尽くした。
俺は立ち尽くし、それ以上近づくな。と背中で訴えた。
だが師匠は近づいてきた。俺は振り向き、振った。
師匠は驚き、立ち尽くした。
刀の届かない距離だ。
三メートルは離れている距離だ。刀は届かない。だが、師匠は後ずさった。
俺は口元に笑みを浮かべ、振った。
師匠はまた後ずさった。
俺は近づいてはいない。だが、師匠は後ずさった。
俺は振りまくった。
師匠はどんどん後ずさっていき、やがて、俺の、肘から手首までの大きさになった。
俺は振るのをやめた。
そして師匠に背を向け、心を静かにさせた。
遠く離れたところで、師匠が俺を見つめているのが分かる。
なぜ分かるのだろう?。不思議だ。
俺は空気相手に目を瞑っていた。
そしてもし、また、近づいてきたら、切る、と思った。
師匠が近づいてきた。切った。
的が切れた。
的に刀は触れていなかった。
だが、的は切れていた。
俺は師匠に背中を向けたまま、刀を振ったあとのポーズのまま、愕然とした。
師匠も俺の背後で、愕然とした。
刀に触れられてはいない筈の、的は、斜め下から斜め上へと、真っ二つに、切れていた。
俺は立ち尽くした。
師匠も立ち尽くした。
俺は、自分の回りにある三つの的の位置を、俯いたまま、確認し、目を瞑った。
そして目を開け、切った。峰斬り、普通切り、片膝をつき、両手で一刀両断。
最後の一切りは、的には触れていなかった。
だが、的は切れていた。
俺は立ち尽くした。
師匠は立ち尽くしていたが、やがて、怯えた。
なぜ、師匠の様子が分かるのだろう?。不思議だ。
俺は目を瞑った。
遠く離れたところで、師匠は俺を見つめていた、が、離れた。
師匠だけの事はある。分かるのだ。俺がやろうとしている事が。
師匠は俺を見つめながら、用心深く、少しずつ、離れていく。
十メートルは離れただろう。師匠の大きさは、俺の肘から中指の程の長さだろう。
怯えている、師匠。
俺は漆黒の暗い闇と共に、漆黒の暗い闇を巻き込む様に、漆黒の暗い闇が竜巻の様に、慟哭を上げながら、刀と共に振り向いていった。師匠が背中を向けて逃げた。俺は斜め下から斜め上に切り上げた。
遠くに見える師匠の背中に血が走った。血飛沫は、斜め下から斜め上に綺麗に上がった。
師匠はうつ伏せに倒れた。
十メートルは離れていた。
だが、切れた。
血飛沫が上がった時、師匠の体が切断面からズレたのが分かったし、うつ伏せに倒れた時、上半身と下半身が、別々に倒れたので、多分、真っ二つだろう。
俺は口元に笑みを浮かべていた。
目を瞑ると、真っ白だった。
刃はなく、むしろ、刃の中にいる様だった。
血は汚い、初潮の様だった。
俺は刀についた血を振り払おうと思い、刀を振った。
何かが切れた手応えがして、目を開け、地面を見た。
地面に切り傷がついている。
地面に刀は触れてはいない。だが、地面は切れていた。
俺はそれを見て、満面の笑みを浮かべ、声を出して笑った。
刃は、光輪と翼をつけた、UFOの様に、俺の頭上で、光っていた。
俺は横一文字に振った。
遠くにある、盆栽の鉢が真っ二つに、切れた。
嬉しくなって、俺は次々に切った。
遠く離れたところにある、庭の葉や枝や石の壁が、次々に切れていく。
俺は笑い声を上げながら、切りまくった。
そしてこれは、空気切り。と名付けようと思った。
俺は、嬉々として、刀を振っていた。
その一部始終を、師匠の娘が見ていた。
その気配を感じなかったのは、未だに不思議だ。
きっとその時、娘はもう死んでいたのかも知れない。
娘は俺に見つめられながら、俺に近づいてきた。
娘は無表情に、だが、尊敬と畏怖の目で、俺を見つめながら、近づいてきた。
俺は切ってやろう、と思ったが、切らずに、娘を見つめた。
切るのは簡単過ぎたし、あまりにも興味深かったからだ。「これからどうするの?」「そうだな」
俺は照れた様に、刀についた血を振り払う様に、刀を振った。
地面が切れた。
娘と俺は地面についた切り傷を見た。
二つの切り傷。
それが娘と俺が最初に交わしたやりとりだった。
その夜、俺はその娘とハメた。童貞を捨てた訳だ。処女の方はム所で喪失していたのだが、女とヤッたのは初めてだった。
別に良くなかった。それが正直な感想だ。
俺はホモかも知れない、と前々から感じていたが、その思いを深めた。女はどうも苦手というか、好きではない気が前からしていた。
娘もあんまり良くなかった様な顔をして、俺の隣で横になっていた。
ハメてる最中は、少しは喘いでいた。下手なところが唯一、娘を感じさせたところかも知れない。
娘は言った。
昼過ぎからずっとこの部屋で私とヤッてた事にすればいいわ。
父はきっと辻斬りに切られたのよ。
娘はクスクスと笑った。
それで、お腹が空いた私が下に下りると、庭で父が死んでるの。
娘の名前は、玲子。
父親を殺されても、平気でいられるか玲子が不思議だった。だが、それには訳があった。くだらない訳だが。「私、父親にレイプされてたの。処女を失ったのは三才の時。私のお母さんは、もう死んでるわ。病気でね。梅毒みたいな気持ち悪い病気で死んだの。私の母も変態でね。父が私をレイプしてる時、母は父の肛門をペニスバンドのペニスで犯したりしてたわ。あと、オナニーしてる私を見ながら、オナニーしてる父に、蝋を垂らしたり、足蹴にしたり、笞で叩いたりしてた。私の母は少し頭がおかしかったかも知れない。小さい頃から自分のウンコを私に食べさせたり、オシッコをジュースとして食卓に出してたから。私の生理が始まった時は、私のタンポン入りジュースを私に飲ませたわ。それから使用済みタンポンを、父親の鼻の穴に突っ込ませたまま、父親に一日中素っ裸で、居合斬りなんかをさせるの。その間中ずっと私は、母の腰掛けになったり、母の痰壺になったり、犬とやったりしてたわ。その犬の名前は義春。義春は、私の兄って事になってたから、私はその犬を、お兄さん、と呼んでたわ。お兄さんと私は仲が良かったのよ。母と同じ気持ち悪い病気にかかって死んじゃったけどね。母が死んだあとは、私が父を笞で叩いたり、犯したり、父を便器にしてたりしてたの」
嘘にしろ、ホントにしろ、くだらない話だと思った。「そろそろ警察に電話する?」「ああ」
玲子は警察に電話をしに一階に下りていった。
玲子はハメてる時も、頭にアホの子みたいな黄色いリボンをつけたままだった。
俺は玲子のベットに仰向けになったまま、刃様に、早く会いたいと思った。
早く、今日の報告したい。空気が切れた。という事を、刃様に、報告したい。
刃はきっと喜んでくれるだろう。
俺の刃、白い、刃、柄のない、刃。
警察が来た時、俺は少し眠ってしまっていた。
警察に行った時、俺と玲子もこれといった演技はしなかった。
だが、どうも疑われている気がした。
だが、死体の切り口が異常なので、容疑はかからないだろうと思っていた。
だが、玲子には動機があるし、俺も殺人は二度目だ。冤罪にされる恐れもある。まあ、俺の場合は冤罪ではなく、本当に切ってしまった訳だが。とにもかくにも、少年院で知ったのだが、冤罪の奴は、結構、いた。
ヤバイといえばヤバイ。
だが、俺は、刃様の事を思っていた。早く、早く、報告したい、と。
帰り際に、俺の背中に、刑事が言った。「お前だろ?、殺したの?」
俺は振り向き、刑事を見て、黙って、取調室を出て行った。
刑事は確信している様だった。
逮捕されるかも知れない。だが、その前に、まず、報告だ。
父親と母親は俺を心配していた。俺は気分が悪いといって、自分の部屋にひきこもった。
刃様に向かって拝むと、刃様は黙っていた。
刃は何も言わなかった。
俺は、こいつと出会った時の事を思い出していた。
踵を切った、こいつ。
刃が光った。
俺は微笑んだ。
刃は嫉妬しているのかも知れない。玲子に。
俺は嬉しくなり、刃に接吻しようとした、が、やめた。
俺は俯き、立ち尽くした。
玲子によって俺は汚された様な気がした。
葬式会場で、俺は、弟子達の視線を、全身に感じていた。
殺気の様な視線だ。だが、全員を相手にしても、刀さえあれば、勝てる、としか、思えなかった。
俺は目を瞑り、弟子達、刑事、この場にいる人間を、全員、切る事を夢想して、微笑んだ。
そして玲子は切られる時、イク、だろう、と思い、玲子を見た。
玲子を俺を見て、微笑んだ。
俺は舌打ちを心の中でして、目を逸らし、俯いた。
そしていつもの様に瞑想しようとした、だが、玲子・・
俺はやはり、玲子によって汚されたかも知れない。
切らなければ。と思い、俺は顔を上げ、玲子を見た。
玲子は俺を見つめ、微笑んだ。
俺はなぜか赤面してしまい、俯いた。
玲子は微笑んだまま、俺を見つめている。
俺はやがて、顔を上げ、ハッキリ、睨んでやった。
玲子は少し驚きつつも、ムッとして、俺から目を逸らした。
このままではいけない。
切らなければならない。玲子を。
俺が求めているのは、刃の、光。
それだけの筈だ。
俺は黙って、前方を見つめていた。
玲子は俺から目を逸らしていたが、時々、俺を見つめた。
結局、師匠が火葬されるまでの間間に、俺と玲子は、便所で三回ファックした。
射精は放尿みたいもんだ。仕方がない。
玲子は喘ぎながら、父親の死体に小便をひっかけたかったのに、通夜の間中、ずっと人がいて、それが出来なくて、父もそれがきっと心残りだろう。と言った。ああ、そうだろうな。
あなたの切り口は美しかった。とも言っていた。
美しさか・・。
素振りをしたい、そう思った。
師匠の死後も道場は続いたが、俺は行かなかった。というより、行けなかった。
多分、切ってしまうからだ。多分俺は、弟子達全員を切ってしまうだろう。そう思った。だから行けなかった。
仕方なく俺は、師匠の家の庭で一人、素振りをしていた。
だが、縁側にいる玲子に見つめられていると、峰斬りどころか、普通の的斬りも出来なくなってしまった。
俺は愕然と立ち尽くした。
大丈夫よ。また空気切りが出来る様になるわよ。とか何とか、玲子は俺を励ましつつ、俺にサザエさんのコスプレをさせ、男の学生服を着ている玲子が、エロ本を見ながらオナニーしているところを、サザエさんの俺が発見して、こらー、カツオー、とか怒鳴りながら、素っ裸になっている玲子を、竹箒で叩いてると、いつの間にか俺は、三年B組と名札のついたブルマー姿になっていて、鼻釣りをつけている女王様姿の玲子に、オカマを掘られている、なんていうプレイを、ただひたすら続ける毎日なってしまった。
ある日、チンコの上にウンコを捻り出している裸の玲子に言った。「このままでは駄目になる」「じゃあ、別れる?」「別れても駄目だと思う」「どうする?」
俺はウンコ塗れのペニスを玲子にしごかれながら黙った。「殺す?」「そのヤリ方が問題だ」
鼻釣りをつけたままの玲子は、俺のウンコ塗れのペニスをしごくのをやめ、立ち上がり、今は亡き師匠の刀を手にして戻ってきた。その刀は俺が師匠を切った時に使った刀だ。
玲子はしゃがみ込み、俺を縛っていた縄を解いた。
そして自分の鼻釣りを外し、力を抜いた感じで、座り込んだ。
俺は鞘に入った刀を手にし、立ち上がった。「待って、綺麗にしてあげる」
玲子は俺のウンコ塗れのチンポをしゃぶって、ペニスについているウンコを全部、綺麗にした。
俺は玲子の口の中でイッた。
玲子は全部飲み込んだ。
そして、玲子は、目を瞑ったまま、力を抜いた感じで、しゃがみ込んで、言った。「やって」
俺は鞘から刀を抜き、立ち尽くしたまま、玲子を見つめた。「やって」
俺は立ち尽くしたまま、黙って、玲子を見つめていた。
玲子は目を瞑ったまま、力を抜いた感じで、しゃがみ込んでいた。
菩薩の様だった。
玲子は目を瞑ったまま、涙を零した。「私はもう死んでるのよ、気付かなかった?」
俺は切った。
玲子の首は転がっていった。
俺は泣いた。
噴き出している玲子の大量の血を全身に浴びまくりながら、俺は這いつくばって、号泣した。
それは、産声の時と同じ位、誠実で、切実な、初めての、涙だった。
玲子の生首は、目を瞑ったまま、涙を零したまま、微笑んでいた。
俺は、いつまでも、いつまでも、泣き続けた。
俺は血の海の床に、へたり込んだまま、呆然としていた。
縁側から見える夜空には、白い月が浮かんでいた。
細く、白い、月、刃の様な。
俺は呆然としていた。
白い、刃。
朝が来た時も、俺は呆然としたままだった。
だが、やがて、居合斬り道場に行き、全員、切ってやろう、と思い立った。
どうしてそう思ったのは分からない。ただ、思ったのだ。
考えたのではなく、思ったのだ。
居合斬り道場に入ると、全員、俺を見た。
そして、全員の目に、敵意と、殺気が宿った。
俺が刀を鞘から抜いたからだ。
俺は刀で、全員を指さす様に、ゆっくり、横一文字に、刀を動かしながら、言った。「立て」
何人かは立った。
その何人かを俺は空気斬りで切った。
血飛沫が上がり、生首が飛び、上半身と下半身が別々に崩れ落ち、頭頂分から股下へと真っ二つに切られた奴は、花が開く様に、鰐が大口を開ける様に、右半身と左半身を大きく開いていき、血の雨の中、頭半分ずつを、血の海の床に、別々に置いた。
全員、何が起こったか分からない様だった。
俺はもう一回、刀を、横一文字に、ゆっくり、動かしながら、言った。「立て」
何人かが叫び声を上げながら、刀を抜き、立ち上がった。
空気斬りで切った。
俺の間合いに入った奴を、刀ごと切った。
ほぼ全員が刀を抜き、立ち上がった。
空気斬りで切った。
峰斬りで切った。
刀ごと切った。
逃げていく女の背中を切った。
座ったまま動けない奴らの頭を、水平に空気斬りして、頭頂部分を、円盤の様に次々に飛ばしまくった。
槍を手にして突っかかってきた奴も、動けなくなった奴も、逃げ惑っている奴も、死体になった奴も、切って切って切りまくった。
腕や足が飛び、生首が飛んでいき、刀や槍が切れ、上半身と下半身が、右半身と左半身が、あっちこっちで、次々に別々に、崩れた。
たまたま最後まで生き残った奴は、しゃがみ込み、俺に向かって両手を合わせ、小便と涙を垂れ流しながら、す、凄い、と言った。
切る価値もない、と思ったが、切った。
生首が飛んでいき、壁にぶつかり、転がった。
その生首を見て、玲子の生首を思い出したので、切った。
粉々に、切った。
脳味噌のウドンを、頭蓋骨の皿の上に盛りつけた様になったので、切るのをやめた。
そして血を払おうと、刀を振った。
床が二回、深々と切れた。
俺は立ち尽くした。
血塗れの肉片が血の海の床一面に転がっていた。
吐きそうになった。
汚い、と思った。
そして俺は両膝をつき、刀の柄を床につき、刀を立て、自分の首を切ろうとした、だが、切れなかった。
どうしてだか分からない。なぜ切れないのか。なぜ、切ろうとしたのか。
玲子。俺は切腹しようとして、胡座をかき、刀を自分に向け、目を瞑り、突こうとした、が、突けなかった。
分からない。なぜ、切腹しようとしたのか、なぜ、突けないのか、分からない。
刃。俺は刀を置き、胡座をかいたまま、俯き、空気斬りで、自殺出来ないものか。と思案したりもした。
だが、切れずに、目を瞑ったままだった。
そしてやがて俺は、顔を上げ、天井を見上げた。
天井にまで血が飛び散っていた。
俺は昔殺した、加藤の事を思い出し、まるでいい思い出でも思い出す様に、微笑んだ。そして思った。
今、何をしてるか、分からない。
ただ、思ってるだけだ。
思うだけだ。
思いだけだ。
玲子。
刃。
玲子。刃。玲子。刃。何が何だか分からなくなり、俺は立ち上がり、刀を鞘に納めた。
刃様に会う事にした。
帰り道は呆然としていて、皆が俺を見つめている様な気がした。黄色い日差しだけがやけに目についた。それはまるで光化学スモックの様なセピア色のサングラス。突如として玲子が過去になったからだろう。そう思った。
家に入ると、父と母はテレビを見ていた。
父は俺が袋に入った刀を手にしているのを見て怪訝そうにしたが、微笑み、お帰り。と言った。俺は、ただいま。と言った。父はまた明日から海外に出張の筈だ、何だか顔色悪いわよ、そうでもないよ、と会話をしながら、俺は部屋に入った。
刃様はいた。
俺は見つめ、拝んだ。そしてまた、見つめた。
刃は、白く、光っていた。
柄のない、白い、刃。
何も語っていない様に見えたが、俺を憐れんでる様にも見えた。
そりゃないだろう、全てはあんたから始まったんだぞ。
違う、お前が始めたんだ。
あんたが、俺の踵を切ったからだろ?。
違う、お前が切ったのだ。
俺は振っただけだよ。
違う、お前は切ろうとした。自分自身を。
俺は黙った。
そして、自分で、自分を、切った。
俺は言った。
それで?。
刃は黙った。
切腹しろとでも言うのかよ?。
そうだ。
俺は刀を抜いた。
切腹か?。
そうだ。
本当にそれでいいのか?。
お前に俺が切れるのか?。
俺は刃に向かって、刀を構えた。
刃は、怯えている様に、見えた。
お前を殺したら、俺は死ぬのか?。なぜそう思う?。お前は俺で、俺はお前だからだ。それなら死ぬだろう。空気切りは出来なくなるのか?。なぜそう思う?。そう感じるからだ。それなら出来なくなるだろう。何が言いたい?。お前は何が言いたい?。殺されたいのか?。殺されたくないのか?。ハッキリしろ。ハッキリしろ。殺したいのか?。何を?。自分を。刃を。自分自身を、殺したいのか?。
俺は尻餅をつく様に、へたり込んだ。
分からない。
刃も、分からない。と言っている様だった。だが、何かを知ってる様だった。
刃は光っていた、武士道とは、死ぬ事と見つけたり。と言いたげだ。
だが俺は、死ぬ事も、刃を殺す事も、出来なかった。
男らしくない奴だ。女は殺せるくせに。と声がした。自分の中で。
だが、俺は動けなかった。そこに、留まったまま、動けなかった。
情けない奴だ。
俺は呆然としていた。 夜中頃、俺は刃の前に、しゃがみ込んだまま、夢想していた。
通行人を切って切って切りまくってるところを。
そして気付いた。
俺が空気切りにこだわるのは、刀を汚したくないかも知れない。
直に切るのは嫌だ。
刀が汚れる様な気がする。
空気切りだから、切る気になるのだ。
直に切ってもいい相手は、例えば、玲子、勇二、つまり、数少ない。
玲子。勇二。玲子。思いを切る為に、素振りをしようと思い立ち、刀を手にして、立ち上がった。だが、やめた。多分、切れないだろう。
俺は立ち尽くしていたが、やがて、刃を切ろう、と遂に決め、刃に向かって、刀を構えた。
刃は、白く、光っていた。
切ろう。という決心が揺らいだ。
俺は、ただ、立ち尽くた。
刃も、ただ、佇んだ。
だが、俺と同じく、待っていた。
切られるのを、切るのを、死を、待っていた。
夜明け頃、俺は刃に背中を向けたまま、体操座りをしたまま、考え事をしていた。
凄くくだらない事だ。
空気斬りでテレビに出演して、一財産稼げないか。とか、そういう事だ。
あまりにくだらなくて、一人でクスクスと笑った。
チャイムが鳴った。こんな時間に。
警察だ、と気付き、俺は慌てて、刀を手にし、立ち上がり、そして刃を見た。
刃は落ち着いている。
俺を馬鹿にしている様にも見える。
切ってやろうと思い、刃に向かって、ごく自然に、刀を構えた。
刃を俺を見つめている。
刃は覚悟を決めている。
早くやれ、と言っている。
大人になる為だ、と俺は思い、両手で振り下ろした。
刃は折れ、戸棚も真っ二つに切れた。
切れ味抜群だ。と、俺は思っただけだった。
何も変わらなかった。
こいつは、刃は、
偶像だ。
だが、俺がこいつだとしたら、こいつが俺だとしたら、
俺は、偶像。
玄関を叩き開け、階段を駆け上がってくる音が聞こえた。土足だ、数人だ、捜索礼状は持っているのか?、任意は無しか?、
考える隙もない。
俺の部屋のドアが叩き開けられ、刑事二人が俺を見た。見た事ある刑事だ、と思いながら、俺は刀を構えた。
刑事二人は俺を見て、立ち止まった。
賢明な判断だ。普通、刀で人は真っ二つには切れない。だが、俺は、切れてしまうのだ。刀で。人を。真っ二つに。
二人の刑事は拳銃を取り出し、俺に銃口を向け、武器を捨てろ、と言った。
二人は刀が届かない距離を保ってる。刀が届かない距離なら安全だと思っているのだろう。だが、俺は切れる。つまり、今なら、切れる。だが、どうする?。切るか?、自首か?。切腹か?。
刑事の一人が俺に銃口を向けたまま、微笑み、言った。「お前と試合がしたかった」
俺は思わず笑った。
刑事も微笑んだ。
あんたと俺では試合にならない、という意味で、俺は笑ったのだが、刑事はそれが分からない様子で、微笑んでいた。
微笑んでいる刑事は、近づいてきた。
俺は刀を構えた。
刑事は真顔になり、立ち止まった。
俺は刑事を睨みながらも、微笑んでいたと思う。
何だか、男の子達が楽しい遊びをしている様で、楽しかったのだ。
にらめっこを続けていると、二人の刑事の背後に警官二人と、父と母が現れた。
俺はガックリときた、が、何とか、刀を構え続けた。「もうやめろ、昇」
そうだ。俺の名前は、白石昇。少年Aなどという名前ではない。
父親は近づいてきた。その目は涙ぐんでいた。
父親の涙ぐんでいる目。体中の力が抜けた。目は口程にものをいう。申し訳ない。謝っても許されない。それならどうする?、切腹か?。自首か?。切るか?。切る?。父親を?。
俯いていた俺が顔を上げると、父親はもう目の前にいた。「ばかもんが」
泣いている父親は、俺を殴った。俺は胸ぐらを掴まれ、何度も何度も、殴られ続けた。
腑抜けの様に、殴られ続けながら、俺は思った。
俺みたいな奴はたくさんいる。
父親にしかられたい奴。
母親に甘えたい奴。
神にしかられたい奴。
死に甘えたい奴。
父親や母親に相手にされたい奴。
母親や父親から逃げだしたい奴。
だが、逃げれずに、殺す奴。殺される奴。死ぬ奴。
復讐する奴。
親孝行したい奴。
親孝行したいけど、出来なくて、殺す奴。殺される奴。死ぬ奴。
自分を、親を、神を殺そうとする、奴。
だが、どれも、殺せずに、赤の他人を、殺す、奴。
父親は俺の手から、刀を引き離そうとしていた。だが、俺の手は、刀から離れなかった。「離せ、ばかもんが、ばかもんが、ばかもんが」
考える隙が欲しい、と俺は思った。
考えてばかりだとも思った。
刑事二人が、親子喧嘩を止めるかの様に、近づいてきた。どうする?。切腹か?。自首か?。切るか?。自我を確立する為に、父親を殺して母親も殺せ?。どうする?。切るか?。玲子。玲子は関係無い。だが、俺には、玲子がいる、様な、気がした。つまり、親は、関、係、ない。
俺はVサインで父親の両目に指を入れた。
父親は痛がり、両目を押さえ、俺から手を離した。
俺は刀を構えた。
殺気を感じたのか、父親は指の隙間から、俺を見た。「ごめん」
俺は切った。
父親は胸を撃たれたかの様に、呆然としたまま、斜め下から斜め上へと切られた傷から、血を噴き出しながら、ゆっくり、仰向けに、倒れた。
刑事二人は驚いていた。
そして、俺に銃口を向けた。
その目は、実の父親を殺した俺に対する、怒りと嘆きと喪失感と、そんなものだ。
刀の届く距離だ。
引き金を引く指よりも早く切る自信があったので、切った。
刑事二人の四本の腕が、宙を舞った。
叫びながら、もんどりうった刑事二人の首を、立て続けに切り落とした。生首が二つ、転がった。
部屋の入口で呆然としていた警官二人が発砲してきた。
弾は外れた。
俺は空気斬りをした。
警官二人は胴体から真っ二つに切断され、崩れ落ちた。
母が呆然と俺を見つめていた。
母は警官二人に挟まれて立っていたのに、切れなかったのは不思議だが、俺は、母は、とっておこう、と思ったので、そう意味では、不思議ではなかった。つまり、前から思っていたのだが、切れると思うと切れ、一瞬でも切れないと思うと、切れない。全ては、思いだ。
俺は母に近づいた。
母は怯え、後ずさった。
俺は近づきながら、思った。俺の母。俺を愛してくれた母。そしてもう死んでしまった父。俺が殺してしまった父。「どうしてこんな事するの?」
俺は刀を構え、切ろうとして、言った。「ごめん」
後ずさった母は、後ろ向きに階段から転げ落ちた。
階段などに殺させてたまるか、と思い、俺は両手で刀を振り下ろした。
転げ落ちていた母は、丸まっている様な恰好のまま、真っ二つに切断され、切断されている階段を、血飛沫を上げながら、回転しながら、一階に落ちていき、壁にぶつかり、止まった。
天井も壁も階段も床も、母の血飛沫で真っ赤になった。
俺は立ち尽くした。
どうしてこんな事するの?。
どうして、切腹するの?。どうして、自首するの?。どうして、切るの?。
切腹や、自首は、大人の、遊び。
切るのは、
子供だ。
パトカーのサイレンがしたので、俺は家の外に出た。
パトカーが三台来ていた。最近の警察にしては早い対応だと思った。そしてなぜか俺はテレビカメラを探した。時々、俺の頭にはテレビが過る。きっと生まれた時から一緒にいるから、テレビは家族の一員なんだろう。
警官達は俺に銃口を向けた。
左に二台、右に一台。約五メートル。六人。二人、乗ったままだ。
空気切りの事は知らない筈だ。だが、一人でも空気切りで切ったら、何か飛び道具でも持ってるんだろうと思い、発砲してくるだろう。つまり、一気に六人、切る。
俺は片手で刀を指揮棒の様に使いながら、警官達を端から素早く切っていった。峰斬りも使った。パトカーに乗っている警官もパトカーごと切った。残り二人になった時、発砲してきた。俺は残り二人を、新体操のリボンの様に刀を使いながら、横に飛び跳ねながら、切った。
全員切り終えた時、俺は上体だけを両手で支えている人魚の様に、道路に横たわっていた。
情けない恰好だ。弾は当たっていなかった。だが、疲れた。
拳銃とやり合うのは疲れる。そう思った。
俺は立ち上がり、歩きだした。
前方にいる野次馬や、通行人を、時々、空気斬りで切りながら、歩いた。
俺は日本刀を抜き身で持っていたので、誰も俺の刀が届く範囲に近づく奴はいなかった。当然だ。
前方にいる人達を、振り払う様に、時々、刀を振りながら、歩いた。
どこに向かう訳でもなく、歩いた。
フト、前方を見ると、マンションの三階辺りから、俺を見下ろしている女がいる。女は俺と目が合うと、悲鳴を上げ、部屋の中に隠れた。フト、視線を感じ、振り向くと、マンションの四階辺りで、俺を見下ろしている男と女がいる。俺と目が合うと、驚き、隠れた。
俺は歩きながら、考えた。
ライフル銃を用意してくるかも知れない。
屋上から撃ってくるかも知れない。
弾は切れるだろうか。
弾が切れたら、弾切りか。
向こうにしてみれば弾切れだ。
面白くも何ともない。くだらない。くだらない。くだらない。と呆れた微笑みで、歩いていると、パトカーが前方から走ってきた。俺の後方からもパトカーが走ってきた。挟み打ちというヤツだ。
俺の空気斬りはもはや知っているだろうと思い、切った。
前方のパトカーを横一文字に、真っ二つに切った。パトカーは爆発炎上した。
振り向くと、パトカーが迫っている。縦に振り下ろした。
ど真ん中に切ったので、運転席と助手席に乗っていた警官は、切れておらず、横たわった車体と一緒に、目をパチクリさせたまま、横たわっていた。俺は切った。横、斜め、縦、と切った。
警官二人は、横と斜めと縦に切れ、血や内蔵物といった中身をはみ出させた。
次はライフル銃との戦いだろう。と思いながら、俺は歩きだした。
どこに向かう訳でもなく、歩いた。
殺気がした。振り向いた。切った。銃声がした。切った弾は地面に落ちた。銃声がしてから切ったのでは遅い訳だ。銃声がした。撃たれた。銃声がした。撃たれた。銃声がした。撃たれた。
死ぬしかない。そんなシュミレーションを頭の中でしながら俺は歩いていた。
そして思った。
空気切り。
弾切り。
大砲切り。
核ミサイル切り。
毒ガス切り。
切っても切っても切りがない。
切りがない。とは江戸時代に生まれた言葉だろうか。江戸時代にも、いや、むしろ、江戸時代の方が、異端者を排除しようとする、村八分の様なイジメは、激しかったかも知れない、だが、江戸時代に生まれたかった。江戸時代なら、決闘、果たし合い、切り合い、が、切りがある儀式として、あっただろう。だが、今の世には、この世には、切りがない。俺には、切りがない。切っても切っても切りがない。切っても切っても、嘔吐物の雨は降り続ける。切っても切っても、泥沼の足枷は外れやしない。そうだ。俺は、自分を殺す代わりに、切っているのではない。親を殺す代わりに、切っているのではない。ただ、切りたいのだ。しかし、なぜ、切りたいのだ?。切っても切っても切りがないのに、なぜ、切りたいのだ?。思い出した。
見たいだけだった。あの、光を、あの、刃の、光を、見たいだけだった。
美しい、光。
ここ最近ずっと見ていない。
素振りをしていた頃には見えていた、あの、刃の、光。
そう言えば昔、女の子を突きで病院送りにしてしまった以来、あれ以来、光は、見えにくくなった。
いや、ム所で素振りをしていた時には、見えていた様な気がする。
あの、
柄のない、
刃の、
美しい、
光。
嘔吐物の雨にも、泥沼の足枷にも、決して汚す事は出来ない、あの、美しい、光。
また、見たい。
柄のない
刃の、
美しい、
光。
銃声がした。倒れた。銃声がした。後ろから頭をおもむろに叩かれまくる様に、銃声がしまくった。俺は撃たれまくった。
死ぬしかない。だが、もう一度、素振りをすれば、もう一度、見れるかも知れない。あの、光。そう思い、俺は立ち止まり、目を瞑り、素振りを始めた。アスファルトや電信柱やマンションの壁や、遠くにいた人間達が、次々に切れていく手応えがあった。だが俺は、人間なんて、マンションなんて、電信柱なんて、切りたくない。俺は、もう一度、もう一度だけ、あの光を見たいのだ。あの、光を、あの、美しい、光を、見たいだけなのだ。そうだ、俺は、美しさ、を求めていた。そうだ。それだけだった。たった、それだけだった。俺は、美しさを、美しさを、銃声がした。幻聴ではなかった。だが、俺は、もう一度、もう一度だけは、あの光を、あの光を、美しさを、柄のない刃の、美しさを、美しさを、見たいんだ。弾を切った、手応えがあった。俺は少し驚きつつ、喜びつつ、しかし、結局は、死ぬしかない、切っても切っても切りがないから、死ぬしかない。そうだ、弾なんて、切っても切っても切りがない。俺は、ただ、もう一度、もう一度だけ、あの光を、あの光を、美しさを、美しさを、見たい。また弾を切った。だが俺は、弾なんて、切りたくない。弾なんて、切りたくないんだ。いや、少しは死にたくない、と思ってる。だから、少しは切りたいとも、思ってるかも知れない。だが、切っても切っても切りがない。弾切り。核ミサイル切り。毒ガス切り。切っても切っても切りがない。切っても切っても切りがないんだ。また弾を切った。そんなもの切りたくない。そんなもの切りたくはないんだ。俺は、ただ、ただ、あの、光を、あの、光を、柄のない刃の、美しさを、美しい、光を、光を、光を、切りたいんだ。
俺は立ち尽くした。
俺は、光を、切りたい、のか?。
銃声がした。俺は足を撃たれ、倒れた。俺は倒れたまま、見上げた。ビルの屋上に狙撃班がいた。
俺は切った。
狙撃班の胴体が二つ、切られたビルの破片と共に落ちてきた。
銃声がした。もう片方の足も撃たれ、俺は叫び声を上げた、が、屋上を見上げ、切った。
狙撃班の腕が四本、切られたビルの破片と共に落ちてきた。
俺はそのまま、見上げていた。
光輝いている太陽。
俺は、光を、切りたい、のか?。
俺は呆然した。
そして笑った。
大笑いした。
俺は大笑いしながら、思った。光を。光か。そうか。失敗した。それなら、切れた筈だった。素振りさえしてれば、素振りさえしてれば、余計なものは一切切らずに、余計なものは一切切らずに、切っていれば、切っていれば、切れた筈だった。だって、光あっての、影、嘔吐物、足枷、俺達、じゃないか。光。それは、切れた筈だった。光。それは、切れる筈だった。目を瞑れば、光は闇と混じり合って、虹色に光る。光。それは、切れた筈だった。光。それは、切れる筈だった。余計なものは一切切らずに、余計なものは一切切らずに、切っていれば、切っていれば、刃を持ってしまっても、刃を持っていなくても、生まれる前から、刃を持ってしまっていても、柄になれば、柄になれば、柄になれば、切れる筈だった。
俺は大笑いしながら、大泣きしながら、両膝をつき、光輝いている太陽に向かって、両拳を突き上げ、大声を上げた。
それは、剣道家が、剣を振る時に上げる様な、大声だった。
刃を追っ払う為の、柄の様な、声。
太陽の涙を聞いた俺が、目を閉じようとした、瞬間、二つに折れた刃が、光輝きながら、太陽から飛んできて、俺の両目を突き刺した。それは、柄のない、虹色の、光だった。俺達は、柄に、ならなければ、いけないのか・・。
目を開けると、太陽は見えなくなっていて、青空だけだった。
横を見ると、俺が切った電信柱がたくさん、川の字に倒れていて、三途の川の様になっていた。
俺は痛む足を引きずりながら、立ち上がり、辺りを見回した。
俺が切った事によって倒壊しているマンションや、火事になっている民家などがあり、遠くの方では、真っ黒い煙がとても高く上がっていた。
俺以外には誰もいなかった。だが、三途の川の様に倒れている、電信柱の向こう岸を見ると、私服で竹刀を持っている奴がいた。
そいつは俺に良く似ていた。
そいつは俺より背が低く、俺の弟の様な感じがした。
そいつは微笑んで、軽くジャンプして、電信柱の川の真ん中辺りまで、一っ飛びして、着地して、笑った。
あまりにもそいつが楽しげなので、俺も笑った。
そいつは笑いながら、来いよ。と手を振り、大和撫子もいるぜ。と言った。
向こう岸を見ると、頭にアホの子みたいな黄色いリボンをつけた女が、恥ずかしそうに、俯き加減に、俺を見つめていて、微笑みながら、俺に向かって、グーパーグーパーと手の平を見せた。
俺は笑って、歩きだした。
俺の弟の様な侍は、飛び跳ねながら、俺を誘導した。
どうやら、向こう岸には、美しさ、だけが広がっているらしい。
一人、
一人に、
柄の、
光。
(2005.5.16)
いそのカツオをブッ殺せ! Copyright(C) 2004 矢萩純一 題字: 矢萩純一 デザイン: おぬま ゆういち 発行: O's Page編集部 |